本目録に収録した文書は、2016(平成28)年および2017(平成29)年に県立歴史館が東京都内の古書店よりそれぞれ購入した史料群である。 本文書群は下諏訪宿友之町の商家増沢市右衛門(屋号 奈良屋)に関係する史料でおよそ500点余りのものとなっている。購入時は5つのまとまりとなって分割されていたが、いずれも増沢市右衛門あてもしくはその関係者に関わるものであることから一括してまとめている。 下諏訪宿友之町は江戸時代を通じて高島藩領である。郷高は天保年間に910石であった。友之町は1694(元禄7)年には下諏訪宿の加宿となり、下諏訪宿の伝馬役の三分の一を負担している。下諏訪宿門前町として繁栄していたことがうかがえる。 文久年間の下諏訪宿町割図(『中山道信濃26宿』)によると、高野町から友之町の入り口で、宿の中央にある高札場の前に奈良屋があったことがわかる。現在は下諏訪町観光振興条例により「奈良屋」建物が歴史的建造物として保存されている。 なお『長野県史』『下諏訪町誌』ではこの史料群は用いられていないことから、早い段階で流出した文書群だったことがうかがえる。 商家であるということから、金子借用関係の証文や書状関係が最も多い。書状や諸証文が多くそれぞれの年代確定の難しい史料が多いが、古いものは元禄期からのものが散見され、幕末のものが最も多い。明治期は比較的少ないといえる。 大きく分類すると一つは友之町役人時代の熊三関係史料が前半に集中する。品代などの支払額書上などの多くは友之町役人にあてられたものである。 諏訪下社関係史料も多く残されている。「代官所」「下社御用」等と記されており、下社代官家を勤めていたこともわかる。 書簡も多い。とくに幕末の黒船来航時の動乱の様子を伝える史料や、高島藩江戸屋敷の動静、京都や金比羅宮への参詣時の情報などを報じるものなど興味深いものが多い。諸仏御影刷物などはおそらく市右衛門が集めたもので、関西方面の社寺のものが約60枚残されている。帳簿関係は、嘉永時の下社造営にかかわる書上がまとまっている。 |