佐久郡上平尾村大工川村家文書
資料No | 佐久〔2〕/2-29 |
---|---|
目録巻数 | 18 |
地域 | 佐久 |
古文書 | 本目録は、2017(平成29)年に当館が古書店より購入した標記文書240点を掲載する。年期のわかるもののほとんどは幕末のもので一部近代文書が含まれている。覚や綴りの断簡も多く、年次の確定しないものも多い。 上平尾村は佐久市の西麓から東境を流れる湯川左岸の地に位置する。天正7年に平尾守邦が湯川上流より用水を開削し、この地が本格的に開発されたと伝わる。 上平尾村は近世の支配関係ははじめ小諸藩領であったが、1622(元和8)年に松平忠長領、1624(寛永元)年に再び小諸藩、1662(寛文2)年甲府藩飛地、1701(元禄14)年天領と転変し、1703(元禄16)年からは岩村田藩領となり、以後維新を迎えるまで継続した。元禄時代の村高は614石、天保年間は652石であった。 本史料群の特徴は、大工川村家に伝来したとみられる史料が過半を占める点で、岩村田藩作事方へ宛てられた作事覚など、藩内大工の名簿や、作事にかかった費用、作業日誌などが断簡として断片的ながら記録されていることである。当館では大工職人家の史料がまとまって収蔵されていないことから、時期や地域は限定されるものの、佐久地域における職人に関わる史料群としてこれらの史料は貴重なものといえる。また一部、五十嵐氏関係のものも含まれている。五十嵐氏も大工であった。 当館では同じ上平尾村の文書として名主森泉家文書が収蔵されている。現在整理中であるが、両者をつきあわせることで近世の当該村の様子がより明瞭になることであろう。 |
収蔵データ検索 | 資料検索 |