佐久郡下海瀬村文書
資料No | 佐久〔2〕/2-12 |
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地域 | 佐久 |
古文書 | 本目録に収録した佐久郡下海瀬村文書は、長野県立歴史館が平成13年(2001)に購入したものである。 下海瀬村(佐久穂町)は、千曲川上流の段丘上に展開する村である。寛永年間(1623~43)に海瀬村が、上海瀬村、下海瀬村、海瀬新田の3か村に分村したこことにより成立した。幕府領、上野館林藩領、甲府藩領をへて、元禄14年(1701)以降幕府領となり、明治維新をむかえた。天保郷帳による村高は、548石である。明治維新後は、伊那県、中野県をへて長野県に属した。明治9年(1876)海瀬村の一部となり、昭和30年(1955)栄村と合併し佐久町となり、平成17年佐久穂町の一部となる。 本文書は、下海瀬村の村役人の家に伝来してきた文書であると考えられる。文書の年代 は、寛文10年(1670)から大正6年(1917)におよぶ。文書の内容は、検地帳や年貢割付状などの名主文書の数は少ないが、弘化年間の高野町村などとの用水をめぐる争論の文書がまとまって残っている。用水の取り入れ口に位置した下海瀬村と周囲の村むらとの関係がわかるものとなっている。また永譲り証文、質地証文など土地証文の数は、近世の全期間を通じて残っており、本文書を伝来してきた家の土地の集積過程がわかる。明治の文書は、戸長役場などの公文書は少なく、領収書や土地売買関係の文書など私文書の数が多い。 |
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