佐久郡山田村江原家文書(山田村名主文書)
資料No | 佐久〔2〕/2-7 |
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目録巻数 | 7 |
地域 | 佐久 |
古文書 | 本目録に収録した佐久郡山田村江原家文書は、北海道在住の江原家ご子孫から北海道庁を介して昭和47年(1972)長野県政史料室へ寄贈され、その後本館へ移管されたものである。 山田村(佐久市)は、千曲川の支流田子川の沿岸に位置する村である。「天保郷帳」による村高は、406石であった。近世の領主は、小諸藩領、徳川忠長領を経て寛永9年(1632)幕府領となり、以後幕末まで幕府領(寛保3年~天明5年までは松本藩預かり地)であった。明治維新後は、明治元年伊那県、同3年中野県、同7年以降長野県に属した。また、明治9年近隣の村と合併し常和村となる。その後昭和31年中込町、ついで昭和36年佐久市の一部となる。 江原家は、江原村(佐久市)の名主など村役人を歴任した家である。本文書の年代は、寛保2年(1742)から慶応4年(1868)におよぶが、幕府領時代(直轄地時代)のものが大部分をしめる。その内容は、村明細帳、御用留、触の請状など村政運営上必要なものが多い。数は少ないが幕末期の文書は、水戸浪士(天狗党)の通行を記録した「賊徒通行始末書」や官軍先鋒幣導隊(かんぐんせんぽうきようどうたい)関係の文書がある。その他中山道の助郷関係の文書もみられる。 |
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