小県郡地方文書
資料No | 小県〔1〕/1-13 |
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地域 | 小県 |
古文書 | 本目録に収録した標記文書は、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。 これらの内訳は小県郡内から散逸した諸村関係文書を一括したもので、それぞれの出所は異なっている史料である。関係する文書は同郡御嶽堂村が最もまとまっており、次いで中丸子村(丸子村)、秋和村などが含まれる。 このうち御嶽堂村関係はいくつかの出所に分類でき、そのうちの一つに飯嶋家文書がある。『小県郡誌』編纂時に史料調査がなされているものである。 御嶽堂村は上田市(旧丸子町)にあった近世村で、依田川と内村川の合流する地点の上流部にあたる。千曲川川西地区にあたる地域である。二木峠等で塩田(上田市)と接し、砂原峠を経て佐久・諏訪へとつながる交通の要衝でもあった。中世の依田氏は木曽義仲の外護者と知られ、その居館及び山城(依田城)は御嶽堂にあり義仲が拠点とした城として「平家物語」に登場する。御嶽堂村の支配関係は複雑で、1622(元和8)年に甲府松平忠長領となり、1624(寛永元)年小諸藩領、1682(天和2)年幕領を経て、1711(正徳元)年に、近隣の上丸子・中丸子・飯沼村とともに岩村田藩領となっている。なお御嶽堂村にかかわる文書のなかで目に付くのは、寛文から元禄期までの年貢免状が比較的良好な状態で残っている点であろう。また1724(享保9)年9月に当村でおこった山伏宝寿院を下手人とする殺人事件にかかわる口上書や調書、命令など一連の史料が残されている点も興味深い。 このほか中丸子村関係史料には明治以降の蚕糸関係のものが含まれ、いずれも蚕種業に従事した工藤清之助にかかわるものであることがうかがえる。秋和村(上田市)関係史料には宗門改帳が2点含まれる。1873(明治6)年、村誌作成に関わると思われる下奈良本村絵図面もある。 |
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