小県郡伊勢山村蚕種蚕龍堂文書

詳細情報
資料No 小県〔1〕/ 1-6
目録巻数 12
地域 小県
古文書

 伊勢山村(現上田市)の蚕種業者であった蚕龍堂(小田中家)の村方文書で、3,401点のうち判明する年代は享保21年(1736)から昭和4年(1929)まで及び、近世から近代にわたる文書群である。長野県立歴史館が平成14・15年(2002・2003)に購入した史料である。
 伊勢山村は小県郡を流れる千曲川支流の神川右岸に位置する上田藩領の村で、宝永3年(1706)の小県郡塚原村差出帳(上田藩村明細帳)には百姓総家数62軒、人数499人(男280人、女219人)と記されている。明治7年(1874)には新屋村と合併して上野村となり、明治22年(1889)以降は神科村の一部となった。
 信濃では、江戸時代後期から東北信地域を中心に蚕種の生産がさかんとなり、日本中に蚕種を供給するようになった。また、開国後は海外へも輸出し、養蚕とともに地域経済を潤した。蚕龍堂も県内10指のうちに数えられる蚕種業者であった。一説によれば、小田中源右衛門が寛政の初め(1790年頃)に、江戸後期以降全国的に広く用いられるようになった小石丸種を発見開発したといわれている。小田中源右衛門の名は本史料の当該期の文書にみることができるが、この頃より蚕種関係の文書、帳簿類が残されるようになる。
 また、小田中家は伊勢山村の村役人を務め、安政2年(1855)以降庄屋としてみえるようになる。このため幕末~明治初期の伊勢山村地域の村政関係文書類も含まれている。

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