小林信昭氏収集資料

詳細情報
資料No 全県〔0〕/0-20
地域 全県
古文書

 本資料群は小林光昭氏によって収集されたもので、2017(平成29)年に当館へ寄贈された。すべて明治期のもので、県内多岐にわたる資料である。
点数が多いのは「埴科郡小島村戸長宮坂善吉文書」で11点ある。小島村は、現在の千曲市の一地区であり江戸時代は東船山村の一部で、明治14年(1881)、打沢村・桜堂村などとともに分村して成立した。1889(明治22)年埴生村として合併するまで存在した。関係文書はこの時期のもので、埴科郡役所からの通達のほか、「建坪明細取調表」や村経費の帳面などがあり、いずれも戸長宮坂善吉あてのものや宮坂の作成した写が含まれている。
 北佐久郡中津村(現佐久市塩名田)の地方税に関する原簿や、四円以上の町税納付者に限られた小諸町の町会議員選挙人の下調など、明治期の地方政治に関する資料もある。
 「区画改正条例」は、明治7年の長野県における大区・小区再編成の際に作られたもので、まだ筑摩県との合併前のため、当時の長野県域である現在の東・北信地域の大区・小区が記載されている。
これらはいずれも戸長や役場などからの流出文書と考えられる。明治期の村内の運営や、財政状況等を知る上で参考となる資料となろう。
「地券」は、1873(明治6)の地租改正によって発券されはじめた。資料は、明治10〜12年頃発券の東筑摩郡洗馬村、南安曇郡小倉村、北安曇郡陸郷村の合計15枚である。展示資料として活用の可能性が考えられる。
 特筆資料として「信濃商業銀行」の株式台帳がある。「信濃商業銀行」は、明治29年(1896)長野市に設立された銀行で、1909(明治42)年六十三銀行に買収されるまで存続した。六十三銀行はのちに十九銀行と合併し八十二銀行となったことから、「信濃商業銀行」は、八十二銀行の前身のひとつといえる。株式台帳は、明治29年銀行設立時に作成され、株主ごとに1枚つくられたもので約300枚近くある。

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