令和4年度古文書愛好会探訪会 奥信濃飯山へ
10月13日(木曜日)に毎年恒例となっている古文書愛好会の探訪会が行われました。探訪会は現地の文化財や史跡にふれながら、古文書も読み、仲間と親睦を深める貴重な研修の機会です。今年も愛好会の「館蔵文書を読む会」では、大井法華堂日記を読んでおり、ぜひ修験関係の地を訪ねたいという思いから、飯山市小菅神社を中心とした探訪会となりました。小菅神社、正受庵、長野市方面へ戻り真田宝物館というコースです。
小菅神社(飯山市瑞穂小菅)は明治時代の神仏分離まで小菅山元隆寺(がんりゅうじ)といい、かつては戸隠や飯縄と並ぶ北信濃三大修験場として人々の信仰を集めました。最盛期には上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊、合計37坊を有し、100の末院、6社、5堂が立ち並び、山伏、僧侶等300人余りがいたとも言われています。今ではその面影はなく静かな田園風景が広がっていますが、小菅の地に残る貴重な文化財や遺構がかつての隆盛を物語っています。
さて、探訪会当日ですが、小菅神社に着くと2グループに分かれて、里宮や講堂、観音堂などの現地見学と資料館での古文書等の見学を交互に行いました。長野県宝に指定されている講堂では享保年間の製作とされる阿弥陀如来像があり、迫力十分でした。小菅神社のお祭りと言えば3年に1度の柱松柴燈神事が有名ですが、講堂前の広場がその祭場となっています。講堂内にはお祭りの道具なども展示されていました。
里宮などを見学後、急な小菅のメイン道路を奥社参道入口まで登っていくと、ちょうど真西に妙高山の頭がきれいに見えました。お彼岸にはそこに夕日が沈む景色が見られるそうです。妙高山は阿弥陀如来の西方極楽浄土と考えられていました。小菅の人々の信仰の風景が想像できますね。
また、資料館では小菅に関わる古文書や護摩堂(長野県宝指定)内に掲げられていた三十六歌仙の額などを見せていただきました。ここはやはり古文書愛好会の本領発揮です。古文書の周りに集まるとすらすらと声に出して読んでいました。さすがです。現地で生の古文書に触れるというのが探訪会の醍醐味ですね。また、ここで1つのグループは幸運にも数年前に小菅に移住した修験者の方の法螺貝を聞くことができたそうです。
あっという間に時間がすぎ、次の目的地である正受庵へ向かいました。正受庵は真田信之の庶子とされ、飯山城中で生まれた道鏡恵端(どうきょうえたん)が開山となった臨済宗妙心寺派のお寺です。恵端(正受老人)は江戸での修行の後、40年にわたってこの地に住み続けました。その正受庵の本堂にみんなで上がらせていただき、住職の代わりにお寺を守っている横山さんからお話を聞きました。「一日暮らし」などの正受老人の教えをわかりやすく教えていただき、短時間でしたが、格別な信仰空間に心を浸らせていただくことができました。
昼食は飯山名物笹寿司とおそばをいただき、飯山の地を離れ、午後は真田宝物館へ行きました。真田宝物館では、正受老人の親とされる真田信之の企画展「真田信之―十万石の礎を築いた男―」を観覧しました。真田宝物館でも信之の企画展は初めてだそうで、「信之は知っているけど、一体何をしたの?」といった意外と知られていない信之のことがよくわかる企画展でした。刀などの実物資料とともに文書史料がたくさん出ていたので、愛好会のみなさんも「これ何て読むの?」などと確認しながら、楽しそうに観覧していました。
今年の探訪会は歴史館職員2名を含めた25名でしたが、天候にも恵まれ楽しい1日を過ごすことができました。歴史の奥深さ、古文書の面白さにふれて、ますます愛好会の活動にも力が入ることでしょう。まだコロナも心配ですが、こうした貴重な研修と親睦の機会を大切にしていけるとよいですね。
(文献史料課 大森昭智)