古文書公開日記67 ー戦争に向かう世論の育成ー

 

 連日報道をされている戦争のニュース。戦争は「過去のもの」でどこか遠くに追いやっていた私たちに現実を突きつけています。

 整理を続けている上水内郡水内村(現長野市信州新町)北原家文書(上條信彦氏収集文書)の中には、昭和16(1941)年12月8日の日米開戦直前の史料が含まれています。そこに至るまでの経緯を少しふり返ってみましょう。日本は昭和6(1931)年に満洲での利権獲得のために満洲事変を起こし、翌年満洲国を建国します。それを国際社会から非難されると国際連盟を脱退。孤立を深めた日本は昭和12(1937)年には日中戦争を始めます。昭和15(1940)年に日独伊三国同盟が締結されると、戦争は世界規模で激しさを増していくこととなりました。こうした日本の動きにヨーロッパ、アメリカを中心とした国際社会は強い経済制裁と関係国への武器供与という形で結束していきました。その経済制裁は主要四カ国(アメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch))の頭文字をとり、「ABCD包囲網」と呼ばれました。さらに、昭和16(1941)年11月26日、日米交渉のアメリカ代表者ハル国務長官が日本側に突きつけた文書(ハル・ノート)は、中国及びフランス領インドシナからの撤兵等、日本の要求を完全に否定したものであり、アメリカとの溝は決定的となりました。

 さて、話は北原家文書に戻ります。以下の史料は昭和16(1941)年11月7日付の「時局対処講演会に関する件」と題された文書で、在郷軍人分会長らが講師として市町村単位で講演会を行ったことがわかります。「名称は敵性国家撃滅大講演会とすること」とあり、この「敵性国家」はイギリスやアメリカを指したものだと考えられます。水内村在郷軍人分会長、翼賛壮年団長を務めた北原長雄も講習を受けた上で、講演会の講師を務めています。

講演会の開催にあたっては講演会の主旨をできるだけ速やかに全県民に周知するために、市町村長、学校長、警察方面に協力を求めること、地方有力者や各種団体を通して聴講者を募ること等が求められました。そして、在郷軍人会連合分会長には、管下の講演会計画と実施後の報告書まで求めるという徹底ぶりです。

 また、以下のような「ABCD包囲陣突破 時局大講演会」というポスターと配布用のチラシの束が北原宛に郵送されています。

 この講演会の期日は昭和16(1941)年12月4日で、同月8日のアメリカ領ハワイへの真珠湾攻撃の4日前でした。このように日本政府は講演会、メディア等あらゆる手段を使って戦争の正当性を国民に周知し、戦争支持の世論を作り上げていきました。政府にとって都合の悪いことを主張する学者や知識人は追放され、そこに言論の自由はありませんでした。

 まさに、現在起きている戦争でも同じようなことが言えるのではないでしょうか。戦争にふみ切った国では、不確かで一面的な情報をもとに世論が作られています。「戦争反対」の声はかき消され、表立った批判は許されない状況です。

 今、歴史に学ぶ意義を改めて深く考えさせられます。世界中の平和を求める声が大きな力となり、一刻も早く戦争が終結することを願っています。(大森昭智)

歴史館ブログ

ページ先頭へ戻る