古文書公開日記64 裏打紙をはずしたら・・・
文献史料課での整理は続きます。
きょうは整理中の文書のなかに、厚手のゴワゴワした4紙からなる継紙(つぎがみ)がありました。
元和4(1618)年、江戸時代初期の検地帳です。帳簿状のものではなく継紙に書き記しているものです。継ぎ目には黒印が押されており、また袖判がある堂々としたものです。
しかし裏打ちの際の糊が強いため、本紙に負担をかけてしまっています。ゴワゴワ感は糊付けのムラで皺がよったり、浮いたりしていたことによるのですが、糊が強いと将来折れ目から亀裂が入り分離する可能性もあったので、思い切って解体しました。
倉又式噴霧器の登場です。
まんべんなく噴霧でき、水滴が溜まらないため、文書の剥離には具合がよいです。
すると本紙の裏から文字が見えてきました。
梅園越中政所
御供田納古帳
同御供上ル扣帳
同正月十三日之
奉行下行方
納方古帳共
料紙を再利用して、裏面に書き付けたり継紙とすることはよくあります。
御供「上ル」は「たてまつる」と読むべきでしょう。御供(ごく)は「神仏へのお供え物」、御供田とは神仏に供える米(供米くまい)を作る田のことです。
御供田からの収納古帳、御供上納の扣帳(ひかえちょう)、正月十三日の下行方・納方の帳簿、という書付です。
興味深いのは正月13日の下行です。
「下行」とは上位者が下位者に米・銭を支給することですが、特に荘園領主が徴収した年貢から、必要経費を該当者に支給することに用いられることが多いです。中世は、互酬社会です。年貢を徴収したら、百姓に給付(下行)もあるのです。領主は小正月(百姓の正月ともいうくらい農事暦では大事な時期です)となる前に、農民に銭や食料を給付し、1年の勧農をおこなうのです。政所は荘園の管理をおこなう現地機関ですから納方と下行方の奉行がいたことになります。
さて問題はこの政所がどこにあったのか。梅園越中とはどこなのか。謎は深まるばかりですが、今しばらく考えて見たいと思います。(村石正行)