古文書講座第5回まで終了!古文書の魅力を再認識!

今年度の古文書講座が第5回まで無事に終わりました。昨年度は新型コロナウイルスの猛威によって中止をせざるをえませんでしたが、今年度は定員を制限し、感染対策を徹底した上で実施をさせていただきました。9月上旬に感染警戒レベルが上昇した際の第4回の初級・中級講座は、初のWEB上の動画配信という形で実施をし、対面での講座ではありませんでしたが、受講者からは大変好評でした。9月下旬には感染もやや落ち着いたので、対面形式に戻し、上級、中級、初級と5回目の講座ができました。受講者の皆さんのご協力により、講座が運営できたことに改めて感謝いたします。ありがとうございました。

 

 初級の第5回の講座は「公文書に見る長野県のはじまり」をテーマとして、「伊那郡石曽根村飯島家資料(4-37)」を扱いました。飯島家は江戸時代には石曽根村(現飯島町石曽根)の名主を勤め、明治維新以後は信濃国内に初めて設置された県である伊那県において、25代当主弥一郎が伊那県御用掛を勤めています。今回扱った資料はその飯島家資料のうち飯島弥一郎らが旧飯島陣屋に設置された伊那県庁に宛てた1869(明治2)年2月の願書です。内容はというと、伊那県による新政を喜んでいた農民たちが、「近頃県庁を飯島から松本に移転するという噂を聞いたので、もし本当であれば止めてもらいたい」というものです。伊那県は伊那県商社事件等によって県政の混乱後、1870(明治3)年には伊那県の東北部が中野県として分県、さらには1871(明治4)年11月には筑摩県が成立し、伊那県は廃止。筑摩県の県庁は松本に置かれます。1869(明治2)年2月の時点で松本に県庁が移転されるという噂が人々の間であったのであれば、それはどういった内容だったのか、なぜそのような噂が出てきたのかということはとても気になるところです。

 このように古文書の文字を読むだけでなく、意味を考え、その社会背景に思いをはせることは古文書の醍醐味の一つですよね。

 これで古文書講座は一段落となりますが、10月23日(土曜日)、24日(日曜日)は初めての試みとして古文書フォローアップ講座を計画しました。今年度の古文書講座受講者の方のためのまとめとして、さらに古文書に親しんでいただくための講座です。コロナ禍だからこそ、改めて古文書の魅力に気づかされた1年でした。講座を開くことができることに感謝しつつ、どっぷりと古文書に浸りこむ楽しい時間となればよいと思っています(^^)/    (大森昭智)

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