古文書公開日記55-土屋家文書 整理おわる!ー

 2003(平成15)年に寄託を受けた佐久郡中山道芦田宿(立科町)の本陣土屋家文書。
 本日ようやく全点整理が完了しました!
 この文書は当館に寄託される以前より、膨大な量と保存状態のいい良質な史料として古くから知られていました。寄託後当館では早速整理作業をすすめ、2009年には近世文書約14,000点の整理が終わり公開されました。しかし残りの近現代文書は膨大な量で、人員体制の問題もあって、しばらく整理作業が進んでいませんでした。
 2016(平成28)年、手つかずだった近現代文書の整理を遂行するため、当館の古文書講座を受講されたボランティアさんたちと整理作業をすすめることにしました。当初は近現代史料がどの位あるかも皆目見当がつきませんでした。「さて、公開はいつになることやら」、とずいぶん思案しました。幸いなことに、土屋家から寄託された際には、本陣主屋や客殿などそれぞれに配置されていた場所ごとに史料は分類されていました。例えば分類D・E番台は母屋上段の間北廊下の書棚に配置されていた冊子類のグループです。Eグループはおもに明治以降の農業・蚕糸関係の雑誌・刊行物、Dグループには信濃同胞団刊行の雑誌「信濃」が創刊号(明治35年)から明治38年まで、県の保健衛生啓発誌である「信濃衛生」、大正年間の「実業之信州」、満蒙開拓関係がまとまって配架されていました。Jグループは土屋家物置1階に配置されていた書籍・雑誌で婦人雑誌系・農業雑誌系および歴史系読み物を中心、Aグループは、客殿西側廊下押し入れの雑誌等、とくに婦人雑誌「婦女界」・「主婦之友」・「高等女学講義」が中心であるので、土屋家の女性の購読した雑誌類がここに納められていると推測できます。
 このように、配置場所ごとに意味があるグルーピングができるので、近現代文書はそのグループの整理が終わり次第、その都度公開するようにしました。こうすることで、史料を少しでも早く公開することができると考えたのです。
 近現代資料の整理を始めて6年、ようやく最後のグループM番の整理・配架が終了しました。かくして寄託いただいてから足かけ18年。総点数24,950点。東側の棚すべてが土屋家文書で埋まっています!

 当館では46,606点を数える「松川組大庄屋清水家文書」(長野県宝)に次ぐ大文書群となりました。
 これまでもこの文書群のなかからブログや企画展等で史料が活用されてきました。和宮降嫁関係の文書や武田氏関係の史料など興味深いものがたくさん詰まっています。なかには明治14年に武田信玄の末裔から、長篠合戦で先祖が討ち死にしたあと芦田に移住したのが土屋傳右衛門の先祖である、などを証明する文書も含まれています。このとき勝頼の菩提を弔う顕彰碑も土屋氏によって建立されていることもうかがえます。

 近現代資料には、満蒙開拓や蓼科農学校関係の史料などもたくさんあります。ぜひ活用いただき、新しい歴史事実が浮き彫りになることを念願しています(村石正行)

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