夏季企画展が始まりました

 令和3年7月10日(土曜日)、いよいよ夏季企画展が始まりました。前日の7月9日(金曜日)にはオープニングセレモニーが開催され、太田寛長野県副知事、阿智村長熊谷秀樹様、長野県会議員荒井武志様・竹内正美様にご出席いただきました。

 今回の企画展でご紹介させていただく「青少年義勇軍」とは、当時の日本の国策によって創られた「満州国」へ渡った人たち(満蒙開拓民)のなかでも、16歳から19歳の少年達のことをそのように呼んでいます。長野県は満蒙開拓移民数が全国一(3万数千人)ですが、青少年義勇軍の数も全国一(約7千人)となっています。

 日中戦争によって不足していた労働力としての成人移民を補う形で募集が始まりますが、少年達はメディア(雑誌・音楽など)や教員達の勧めによって満州へのあこがれを抱き、多くは自らの決断によって満州へ渡っていったようです。「義勇軍」という名称も、国のために働く兵士たちと同じようになりたいという気持ちを抱かせました。一方、実際に満州へ渡った彼らは、現地人との摩擦を避けるため「義勇隊」と改称し、軍隊とは違うということを周りに示したそうです。

 満州での生活は非常に厳しいものだったそうですが、彼らは懸命に生き抜いていきます。しかし、終戦間近の1945年8月9日、ソ連軍が満州国に侵攻してきたことで、その生活も終わりを告げました。開拓団として逃避行や収容所での生活、ソ連軍の捕虜となってシベリアへ抑留されるなど、彼らを取り巻く状況は過酷を極めました。翌1946年にようやく日本への引揚げが始まりますが、それまでの間に多くの人命が奪われてしまいました。

 国策によって満州という大陸への夢を持たされ国のために働いた純粋な少年達は、現地人からすれば侵略してきた加害者であるという側面も押しつけられてしまいました。平和を追い求めるはずの教育が、少年達の命を奪い、戦争に加担させてしまったのです。

 戦後75年が過ぎて、戦争の歴史はますます風化していきます。しかし、長野県の近現代史を学ぶ上で、「満州」や「青少年義勇軍」に関することは知っておかなければなりません。平和とは何か。教育とは何か。今回の企画展示はわたしたち長野県立歴史館の職員に対しても問われた内容です。たくさんの方にご観覧いただき、展示された資料から皆さんも感じ取っていただけたらと思います。(柴田洋孝)

 ※本文における満州および青少年義勇軍に関する内容は、図録の内容を引用しています。

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