古文書公開日記39ー修験のかぶりものー

 佐久郡大井法華堂文書を整理しています。
 大井法華堂とは、中世以来、佐久市岩村田の地にあった修験(山伏)の家です。中世文書は40点、近世文書約700点が、「大井法華堂修験関係文書」として平成元(1989)年に佐久市の指定文化財になっています。しかし、指定されたもの以外にも文書は残っています。修験の家として、本山派聖護院(しょうごいんもんぜき)との関係や、佐久の年行事として地域の修験の家の触れ役の仕事が数多くあります。とはいえ、岩村田町の土地を有した地主でもあり地主経営もおこなっていました。また明治になって修験廃止令があったあとの近代文書も含まれています。未指定で未整理になっている文書を含め、法華堂関係の文書は4000点を超えることがわかってきました。そして現在、この9割以上の整理が終わりました。あともうすこしで公開の運びになります。地方修験者の家でこれだけの文書が残されているのも極めて珍しいと思います。
 さて、その史料の中に、本山派の法具を図示した写本が出てきました。

 本山派では、聖護院門跡の下に院家(いんけ)とよばれる社務を掌る機関があります。法華堂は院家勝仙院(現在の住心院)のもとで信濃国の年行事に補任されています。信濃では皆神山の和合院(長野市松代)など4ヶ寺が指定されています。佐久・小県(ちいさがた)を管轄する法華堂の下には、22の修験がおり、法華堂がその頭山伏の役目を負っていました。身分制社会は、修験道に限らず、目に見える形で身分を表象する社会でした。身分に応じた着衣などが厳格に定められ、その作法に則った行動が求められます。この写本は、どのような着衣を使用するのかのガイドブックになっています。

 頭巾は「ときん」と読みます。布に漆を塗り固めた六角形の形状が有名ですが、これは合子頭巾(ごうすときん)とよばれるものです。このほか巻頭巾・長頭巾・螺髪(らほつ)型頭巾など多種あったことがわかります。

 このほか、修験が修行につかう貝尾(かいのお)の絵もあります。腰に巻くザイルを兼ねていますが、修験者は、信仰する山岳を「母」、貝尾を「へその緒」と見立てたといわれています。

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