古文書公開日記38ー御維新の旗ー

実習も終わり、また通常の整理業務が続きます。

 そんななか、寄託された古文書(鷹森家文書)を整理しているとき、1枚の旗差物が出てきました。「菊水」の紋に左から「報国隊(ほうこくたい)」の文字が記されています。なにやら曰くありげな旗であり、また文書群であります。
 さて、この旗だけではわからないので、関連する横帳の類いをぱらぱらとめくってみると、筆者に「竹山仙次郎」「鷹森専二」の名前が見えます。年号は慶応4(1868)年。タイトルは「紅葉山警護御渡物請取帳」「御用日記」など全九冊が含まれています。

 竹山仙次郎はのちに鷹森に改姓しています。この文書は鷹森専二の家に伝えられた一群という可能性があります。

 さて、報国隊は正式には「遠州報国隊」。遠江国浜松(静岡県浜松市)で結成されました。討幕軍の東上に際して、地元の国学者や神官を中心に結成された民兵隊のことです。
 徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで敗走し、大坂城から江戸に戻ると、京都の有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が東征大総督に任じられました。当初、民兵隊である遠州報国隊は従軍を許されませんでしたが、浜名湖今切と天竜川の渡河の警護を任されました。この任を経て4月9日に従軍が許可されました。4月15日には江戸城開城が決まりました。史料のように、報国隊は開城した江戸城紅葉山の警護や、未だ反旗を翻す彰義隊への攻撃にも参加したことがわかります。
 11月、首都の鎮圧と警護をおこなった遠州報国隊に帰還命令が出ます。専二の出生地である浜松市東区天王には専二に宛てられた新政府の軍令状の写が模刻されています。
報國隊 鷹森仙次郎 春来る大総督に随従致し一方ならず勉勵の段

  神妙の至に候、今般 東北平定に附き、歸國申し附け候へども、緩

  急奉公致すべき旨御沙汰候事    十一月       軍務官
 鷹森の伝記は『岳陽名士伝』(明治24年刊行)に掲載されています。これによれば専二は天保4(1833)年9月生まれ、報国隊の時は会計方に勤めたといいます。その文には「官命を領して同隊の簿冊を管し今尚ほ之を家に蔵すと云ふ」と記しています。とすれば、まさに今回の報国隊関係文書は、専二所蔵のものであったさらに可能性が高くなります。

 専二は、明治14(1881)年から21年まで、米俵2俵を毎年皇居へ寄進したということで宮内大臣より表彰されました。まさに勤王の人でした。

 維新の旗。展示にぴったりのものですね。できればもっと早く知っていたら、3年前の展示に間に合ったのに・・・。(村石正行)

追記 昭和14(1939)年2月、静岡県立図書館で「日本精神発揚展覧会」がおこなわれました。その出展目録によれば、鷹森倭文太氏所蔵の「蓮池勤番録」「御用日記」「白米出入帳」「旗」などが記されています。

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