古文書公開日記35-名字を名乗った瞬間- 

 長野市若穂には牛島という地域があります。「島」という地名が示しているように、度重なる洪水に苦しめられてきました。集落を水害から守るために堤防に囲まれた輪中地域でもあります。江戸時代は谷街道と対岸の大豆島村へ渡河する大豆島舟渡との交差する要衝地でもありました。
 高井郡ですが江戸時代を通じて松代藩領でした。今年、県外の古書店からこの村の武士の文書を購入し、先ごろ公開しました。
 「牛島村松代藩義家家文書」と題したこの文書は、松代城下に居住しない在村の郷士(ごうし)の文書で、いずれも藩から与えられた褒状のたぐいです。郷士は城内で勤務する一般藩士とは明確に区別されており、基本的に半農で在郷しているものを指すようです。この義家氏が当初は正式な侍身分でなかったことは、この文書群の初期のものはすべて名字なしの名乗り(栄作または桂作)で発給されていること、宛名の敬称がまったくなく、書止文言は「被下之(これをくださる)」で締められ、充所(あてどころ)位置などすべて薄礼です。この家のものは砲術にたけていたようです。松代でおこなわれる藩主御前での術見聞では的に皆中させるなどしていて、煙硝や鉛、銭などの褒美を度々下付されていることがわかります。

 ついにその功により、栄作は初めて名字「義家」を名乗ることを免許されたことがわかります(8-21-2)。

また名字免許のほか上下(かみしも裃)の着用も許されています。
 一芸に秀でることで、藩主より名字を拝領。これが義家氏の名字を名乗った瞬間でした。

歴史館ブログ

ページ先頭へ戻る