古文書公開日記25-佐久鯉の由緒- 

 遅れましたが今年も古文書ブログよろしくお願いします。
 信州のお正月、とくに東北信のお御馳走のひとつに「鯉料理」があります。淡泊で独特のコシのある「あらい」、濃厚な味噌とあう「鯉こく」、「甘煮(うまに)」、最近では鯉の塩窯焼も高級料理として人気があります。 
 さて佐久鯉の始まりは、佐久観光協会のホームページによれば「天明年間に桜井の呉服屋・臼田丹右衛門が大阪から持ち帰ったのが最初」、「1825年岩村田藩主内藤豊後守が大阪からの帰国に際し、淀鯉を野沢の豪商・並木七左衛門に与え、養殖を定着させた」といいます。
 昨年当館へ寄贈された「佐久郡八幡宿依田家文書」を整理しています。そのなかから面白い願出がありましたので紹介します。
 ご存知のように旧望月・浅科・立科など御牧原台地は農業用水・飲料水の確保のため江戸時代から多くの用水やため池が作られてきた歴史があります。それらはまさにライフラインであったことから、土木普請も必要に応じておこなわれました。
 今回の史料は、1879年、八幡村の2ヵ所のため池を修繕する費用が難渋したこと、村人で熟談して、各家庭1戸につき5銭を供出して「鯉魚」を購入・放流したこと、この鯉を販売して修繕費の足しにしたというのです。鯉料理は江戸時代から献立に見え、婚禮や法事などハレの場で食されたことが知られますから、当時高級魚であったことがわかります。ため池の多い佐久ならではと言えます。

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