古文書公開日記22-五伍の法則-

 1874年筑摩県から各村の戸長を通じて県民に1つの法令が出されました。その定書の名は「五伍法則」。今回は筑摩郡の東川手村の旧家の文書を整理していたときにでてきました。あまり知られていない法令ですので紹介したいと思います。
 「五伍」とは聞き慣れない言葉です。「士族・神官・僧侶・平民の別なく市街村落とも戸籍番号に関せず最寄五戸を以て組合せ内一人頭を立べし」とあり江戸時代の相互協力組織である五人組制度を維新において明治期にも踏襲していたことがうかがえます。つまり五は「五人組」、伍は「相互に」といった意味でしょう。五人のなかから「伍長」をたてたということもうかがえます。明治初期の行政制度がどのようなものであったかが分かりますので、まず前文をみてみましょう。「それ人は万物の靈にして、天地の間に生を禀(さず)くるもの、人より尊きはなし。皇国の民として御維新の明時に會し、万民御撫育の難り有き御意趣を弁知せずんば有るべからず。その御恩沢をも弁知せず父子夫妻兄弟のなんたる事、倫理の道をも知らずして徒に一生を過るは人間と生たる甲斐なき事ならずや。人の禽獣に異なる所以は五倫五常の道備り節義を行ふの心ある故を以てなり」とあります。人間が人間たる所以は「皇国の民」であることにあるとします。そのつとめとして五倫五常の道を会得することが大切だと述べます。さらに明治維新により万民を天皇が撫育(慈しみ育てること)する政治をおこなうということが示され、これが万民平等の原則であるとしているのです。明治維新の道徳規範がそのまま示されているといえます。
 本文は35か条の法文が記されます。公納遵守・遊興の届け出・故郷脱出の戒めなどの条文も江戸時代のものと大同小異です。明治初期の村の自治の様子がうかがえる貴重な史料です。このほか長野師範学校2代目校長浅岡一の民撰議院設立の建白もみつかりました。

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