古文書公開日記21-古文書講座始まりました-

古文書講座が始まりました。いずれも50名の定員いっぱい、もしくはほぼ満席の状態です。200名もの方にご参加いただきます。
さて、わたしの初回の講座は土地証文を扱いました。土地証文は、売り券や質地証文、貸借状などをさします。
有名人や武将の書状など血湧き肉躍る内容に比べると、一見すると単調な史料ですよね。しかし、なけなしの土地を売るのですから、売り主はかなりの覚悟が必要です。買い手や貸し主も、特約条項をつけて、違乱を防止するということに必死になります。
売り券の文言には「売渡申すこと在地明白なり」ということばがよく出てきます。売買の事実は、「在地」(簡単に言えば当事者の属しているコミュニティ)の人びとにとって「明白」である、というのです。「明白」は「あきらめもうす」と読みます。つまり、この売買は地域の皆が知っていることである、もし何か第三者が異議を申し立てても、「在地」が証人となって「事の実否をあきらかにする」という意味でもあります。ここから、中世の土地売買が、地域社会の「公証」によってなりたっていることがうかがえます。なお1枚目の写真は戦国時代の古文書。酬恩庵という、大徳寺の塔頭に対する「売り券」です。売り券なのに実際は5年間の質契約で、年紀のうちに貸借物を返済すれば、担保となる土地が返還され、5カ年を過ぎれば、酬恩庵に土地が流れる、というものです。中世は質と売買がまだ未分化であったことが解りますね。
これ以外にも、江戸時代のなかばの筑摩郡潮沢村の文書にも、中世特有の「徳政・如何様之田地返候とも」契約を破棄してはならない、という文言が見えたりします。徳政はいうまでもなく、貸借関係を破棄する中世独特の法慣習です。近世文書の中に残る中世のことばを見るのも興味深いです。
こうやってみると、単なる証文でも、時代の特徴や連続性がみえてきます。古文書学習は、文字を読みだけでなく、ちょっとした深みにはまることも大切だと感じました。