古文書公開日記13-松本藩鷹待役と青木昆陽-

 先日、県外の古書店から松本藩の鷹待(たかまち)に関わる家の史料約70点を購入しました。鷹待とは鷹の巣のある山から鷹を捕獲する役で、殿様の免許がいる職でした。捕獲した鷹を調教し殿様の鷹狩りに伺候するのが鷹匠(たかじょう)です。今回はその整理のなかで見つかった1通の嘆願書を紹介しましょう。
 松本藩領安曇郡小室(おむろ)村(現在の松本市梓川)の左五兵衛の家は小笠原秀政の時代に鷹待免許の朱印状を拝領して以来、先祖代々その役を勤めた家柄だったといいます。ところが、寛政のころ与惣右衛門は同村で同役を仰せつかっていた与惣右衛門と口論となり、その後なぜか左五兵衛の家の免許が取り消されてしまったという事件が起きました。
 左五兵衛はかつて、1741年に幕府御書物御用達の青木昆陽(文蔵)が信州へ古文書調査をおこなった際に、先祖の朱印状を文蔵に渡したと述べています。そして昆陽は江戸へこれを持参しています。ちなみに青木昆陽といえばサツマイモの栽培で有名ですが、昆陽は将軍吉宗の命で全国の古文書の収集・調査に当たったアーキビストの先駆者です。
 左五兵衛はこの嘆願書のなかで、自分の家が鷹待役であるという経歴は、昆陽はおろか、「御上様御存被遊」と将軍まで知っていることなのに今回その役目を取り上げられるのは心外だ、と述べています。この嘆願書は、不当な決定をなんとか覆していただきたいという訴えを村役人を通じて上申したものなのです。
 なお、昆陽が借用した朱印状なのですが、昆陽が調査史料を編集した史料集「信州古文書」には残念ながら掲載されていません。『信濃史料』(巻22、8頁)にはそれと思われるものが翻刻されていますが、今回購入した文書のなかには含まれていません。
これらの文書70点は整理が終わり次第、公開の予定です。

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