古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−

発見された古文書の写真1

 平和な江戸時代の農村。しかし突然、村中を揺るがす事件が起こることもあります。埃だらけの文書のなかから、突如殺人事件の記録が出てきました。
 ときは1724年9月。小県郡のある村で事件は起こりました。9月14日の夜半、手塚新町村(上田市)在住の六兵衛がこの村の住民によって不意に打ち殺されたというのです。早速取調がおこなわれました。山伏の宝壽院という下手人がいうには、「自分の村で夏に出火があり、村人が用心していた、秋になり六兵衛が来村し村人に絡んできたので怪しいやつだと思っていた、そしてその日の夜六兵衛が又三郎という男の家に入り込んだのです、又三郎当人は不在で母親だけが寝ていたが、彼女は驚き、私の所へ通報してきた。夜半であったので私も様子をうかがい(翌日役所へ)届け出ようとしたが、もってのほかのことに六兵衛が悪口を浴びせてきて脇差しで抵抗してきたのです。私と打ち合いになりました。そして当たり所が悪かったのか、六兵衛は即死してしまった。六兵衛は当村のあた(仇)であると思ったので打ち殺したが、役人に届け出ず報告が延行してしまったのは当方の不調法です」と弁明しています。これに対し、妻は「夜中であったので寝ていたのでまったくわからない」と答えています。村名主らも「村内外において宝壽院を手伝ったものは壱人もいない、また今後一切この件について難癖をつける者がおりませんことを連印してお誓いします」と述べています。
 これらからは緊迫感の伝わる文書が何通も含まれています。これらは現在整理中ですが、面白い文書だったので紹介しました。これらは「小県郡関係地方(じかた)文書」として近々目録が完成する予定です。

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