伊那谷の伝統文化-大田切人形

常設展示室内の「近世展示コーナー」の展示替えを行いました。上伊那郡宮田村から大田切人形をお借りして展示しています。
1834年、代々竹本座(大坂)に属する人形遣いの家系に生まれた吉田金吾は吉田国三郎を名乗り、1841年から1862年まで大坂に拠点を置いて人形を操っていました。
幕末から明治の初め頃、金吾は家族とともに、大坂から大田切村(上伊那郡宮田村)に住み着きました。金吾は人形を操るだけではなく、頭の制作も行い、彼が制作した頭は、大田切だけでなく、黒田・今田(飯田市)、早稲田(下伊那郡阿南町)などにも残っています。
大田切に定住した金吾は、村人に人形浄瑠璃を教え人形芝居を盛んにしていきました。金吾に指導を受けた村人は、他村に招かれて興行に出かけるようになりました。また、金吾自身は黒田などへも人形浄瑠璃の指導に出かけていました。
1883年に金吾が亡くなった後も大田切の人々は興行を続けましたが、大正末頃興行が不振となり、人形と道具を7・8軒で保管するようになりました。1959年以降は全く活動が途絶え、田中・飯島両家から村へ人形・道具類が寄贈されたのです。大田切に残された頭は38点で、吉田金吾が確実に作ったとされるのが8点です。
寄贈された頭の中に徳島を代表する人形師天狗久(1858年〜1943年)が制作した頭が5点含まれていました。天狗久は本名を吉岡久吉といい、1943年に亡くなるまで、徳島市国府町和田の工房で人形の頭を作り続け、優に千を越える頭を作ったと言われています。大きさを見ると金吾が作った頭より1〜2センチメートル大きく作られています。ろうそくの明かりでもはっきり顔が見えるように大きな頭を作って提供したといわれています。
信州から遠く離れた大坂・淡路・徳島の伝統文化が伊那谷を中心に残されている姿をぜひご覧ください。