古文書公開日記2−明治の残像−

紛失物リストの写真
紛失物リスト

 このたび佐久郡大日向村浅川家文書の整理が完了し、ようやく公開にたどり着きました。この史料は昨年度古書店より購入したもので、いくつかに分散して売られていたものをまとめて購入しました。購入当初ははっきりとした点数は分からなかったのですが、整理を終えてみると目録件数で900件、全部で1012点もの数になりました。大日向村というと、昭和初期の満蒙開拓で分村移民をした村で有名です。残念ながらその関係の史料は含まれていませんでした。しかし思いがけない史料に出会いました。1884年の秩父事件に関する被害を示す史料が5点あったのです。大日向村は十石峠を介して上州と直接つながっている村です。埼玉県秩父郡で立ち上がった自由民権運動に参加した農民や知識人たちが結成したのが秩父困民党です。このうち急進派と呼ばれる人々のリーダーが菊池貫平(北相木村出身)でした。十石峠をこえて信州に入って来ました。信州の最初の入り口がこの大日向村でした。この村の龍興寺というお寺を本陣として高利貸に賃金の半数放棄、他は据え置き、年賦返済を交渉します。きかないときは家屋破壊または放火するといった、中世の徳政一揆に近い行動を起こしました。当時は佐久や秩父で作られた繭の値段が暴落していたので農村は極めて困窮し、借金を抱える者もたくさんいたのです。この浅川家は江戸時代の名主を代々務めた家で、明治時代は大日向村戸長役場の戸長を務めていました。そういう関係もあったので秩父困民党の襲撃を受けてしまいました。役場(といっても浅川家)は荒らされ、紛失した物品も数多くあったようです。事件が沈静化したあと、浅川源助さんはなくなってしまった品物のリストを作り警察に届けています。淡々としたものですがかえって生々しい記録です。

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