常設展示の縄文コーナーでウーリーちゃん(ウリボウ)を探してみよう!
先日、ボランティアの女性の方から「最近、展示のウリボウが、頻繁に場所を移動していてとてもかわいい」と褒められました。現在、「縄文阿久ムラ」に居ついたウーリーちゃん(良い愛称をつけてあげてください)の居場所は写真のとおりです。みなさん、歴史館にお出かけの際は、ぜひ、この子にも会ってあげてください。ただし、かわいい!からと言って、決して撫でたりしないでください。とても警戒心が強く繊細なため、手を出すとストレスで毛が抜けてしまいます。
数年間、ウーリーちゃんは屋代遺跡出土のイノノシ骨の参考として展示台に登っていました。レストランの食品サンプルのように「美味しそうでしょ。縄文人が食べるとこうなります(となりの骨)」という、ちょっと悲しい役を引き受けてもらっていました。そこで昨年の展示替えでは、思い切って北村縄文人のお姉さん(模型)の脇に添わせました。縄文ムラの周辺は、標高が低くて大雪の心配が少なく、ヒトが作った草地もあるし、ヒトが育てたマメやクリ、残飯などもあって、イノシシの生息には良い場所です(ヒトに捕まらなければの話)。縄文ムラの近くをウロウロしていて、親とはぐれてしまったウリボウ(幼獣)が、ヒトになついても不思議ではありません(現代でも時々あるようです)。縄文人が、食べるためにイノシシを飼育しはじめた(賛否両論あり)と言う面だけではなく、飼い犬のように育てることもあっただろう、といったコンセプトにしてみたのです。元ネタは、千葉県下太田貝塚(晩期)の墓域で、イノシシと犬の幼獣たちの墓が、ヒトの幼児の墓近くに作られていた事例からの推論です。子犬やウリボウは縄文人にとって親しみのある仲間だったと考えられます。
今年度の展示では、縄文ムラに住み着いたウーリーちゃんが、ムラの中をあちこち気ままにお散歩しているといった感じにしています。現在、ウーリーちゃんが身を隠しているススキは、縄文人が森を切り開いたことを暗示した植物です。そして住居の屋根材でもあります。
さて、ウーリーちゃんは、どこにいるでしょうか。常設展示の縄文阿久ムラで探してみてください。
※阿久(あきゅう)は諏訪郡原村にある遺跡で、中央自動車道建設に伴い1976〜78年に発掘調査されました。歴史館で再現した縄文時代前期のムラ跡は、保存運動が高まりを受けて、道路の下に埋没保存されています。