おクニ自慢の土器大集合! ―縄文土器展への招待状 その3―

常設展の縄文コーナー。透明なアクリルボードをリニューアルし、見やすくなった点にお気づきでしょうか。スペースに余裕も生まれたため、展示資料数を増やしましたので、ぜひご覧ください。また、アンケート用紙にご意見・ご感想をいただけると幸いです。
増えたのは、秋季企画展向けの縄文時代中期の土器です。見どころは、一つのムラ(塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡)にさまざまな地域の土器が入って来ていた状況を示した点です。「おクニ自慢の土器大集合!」といった感じです。縄文時代の研究では、土器の材料(粘土と混ぜる砂)や、同じ装飾を持つ土器の広がり方の分析が進んでおり、地域ごとに個性豊かな土器が作られていたこと、しかも盛んに各地に運ばれていた実態がわかってきています。
剣ノ宮遺跡は、塩尻峠と善知鳥峠の麓に位置し、当時も交通の要衝だったとみられます。立地の良さもあってか、近隣の諏訪・上伊那・松本平南部と共通の装飾を持つ土器の他、下伊那地域の土器、東信地域の土器、遠くは東海地域や西日本系統の土器などが見つかっています。
さまざまな産物が行き交う交易の場では、土器は商品の入れ物や、運び人の自炊道具として持ち込まれた可能性もありますが、最も多かったのは、物々交換での交換用や贈答品だったと考えられます。なぜなら、本家本元でもなかなか見つからないような、小形の優品が遠隔地から見つかっているからです。“おクニ自慢”の土器を見せれば、どこの地域から来たのかが一目瞭然です。長年の友好関係の証としての贈答品だったのかも知れません。一方で、遠隔地の土器に似せて作った例も見つかっています。遠隔地の珍品を欲しがる人に、中間地域で作ったまがい物を混ぜて渡していたのかも知れません。
さて、他地域の個性豊かな作品を見た土器製作者たちは、対抗意識を燃やし?さらに独自性豊かな土器を作ろうとしました。逆に、ちゃっかり真似してみたような例もあります。そのあたりの話は、次回以降していきたいと思います。ご期待下さい。