失われた鉄路をたどる3 トンネルを覗いてみる

橋台・橋脚は意外と残っていて、見つかると嬉しいものです。しかし、もっと確実に残っているのがトンネル(隧道)です。一度掘り抜いてしまえば、大崩落でもない限り痕跡を消すことが難しいからです。ただし、使われていない廃トンネルは危険ですので絶対に入らないでください。また、他の廃線施設もそうですが、個人や団体の所有地・管理地になっているので、勝手に敷地に立ち入らないようお願いします。ということで、ご紹介するのは、現在も生活道路に利用されている旧信越線の旧戸草トンネル(信濃町)、遊歩道になっている旧信越線の横川−熊ノ平間のトンネル群です。このシリーズ初回に写真を掲載した旧篠ノ井線も、明科(安曇野市)側は遊歩道として散策が可能です。
1888年、県内で一番早く、直江津-長野間に官設の鉄路が敷かれました。難工事が予想された碓氷峠への資材運搬線の目的も担っていました。1887年に完成した旧戸草トンネルは、現在、しなの鉄道北しなの線「古間駅」の南、歩いていける地点にあります。車1台が通れる程度の小ぢんまりとした大きさ、古びた切石と煉瓦でできたトンネルは、鉄道での現役生活を終え、第2の人生を生活道路として地元の人たちとのんびり過ごしている、といった感じです。
碓氷峠のトンネル群は、安中市の10ヶ所が遊歩道になっており、違いを比べながら歩く楽しみがあります。有名なめがね橋(第3橋梁)から峠側は、「お金はないけど、とにかく一日も早く仕上げろ!」といった強い指示が聞こえてきそうです(あくまで私の感想です)。難工事を担う現場担当者や職人を苦しめた雰囲気が伝わって来ます。例えば、開口部の造りが横川駅に近いトンネルに比べて簡素だったり、排土と掘削の時間をかせぐためトンネル中央付近に横坑を掘っていたり、1つのトンネルだったのを中央の尾根を削って短い2つのトンネルにしたり・・・と、工事終盤は大変な騒ぎだったようです。