失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る

地面に残されたわずかな痕跡から歴史を復元するのが考古学ですが、“鉄道考古学”を掲げる人には、大きく3タイプあるようです。
1つは、愛読書が『時刻表』、現役の鉄道は乗りつくしてしまい廃線を歩くようになった宮脇俊三さんタイプです。国鉄(現JR)の完乗記念に1978年『時刻表2万キロ』を刊行。約十年後には、廃線歩きの中で「鉄道考古学」を語っています(1989年『失われた鉄道を求めて』)。
2つめは、土木や工学・機械系の研究者で、近代化産業遺産研究の一部として「鉄道考古学」を掲げている人々です。元祖「考古学」のお得意は発掘ですが、こちらは残存している橋やトンネル、あるいは機械モノの調査を主にしているようです。
そして、3つめは、元々、縄文や弥生時代の遺跡を掘っていたのに、たまたま鉄道遺構を掘ることになったタイプです(最近は積極的に近代の遺跡に取り組む人も)。私が学生の頃、近世・近代は「後世の攪乱」だから「飛ばしてしまえ」(調査せずスコップで掘り飛ばす)と言われたものでした。しかし現在、日本で鉄道が開通してから140年以上経過していることを考えると、発掘調査の対象となるのも当然と言えば当然です。
廃線を「考古学する」難しさは、廃線の時期が新しい点です。いわゆるスクラップ&ビルド時代のため、壊して効率よく跡地利用されてしまい、あまり痕跡を残さないからです。しかし、老眼が進もうとも考古学徒の目を見くびってはいけません。まずは、「後世の攪乱」を受けにくい場所に着目してみましょう。例えば縄文の遺跡でも、利用しやすい場所は後の時代に手を加えられてしまい、縄文時代の遺構は壊れています。だから、なるべく跡地利用のしづらそうな地点に目を向けてみます。廃線なら河川の斜面なんか・・・、と!!!、橋台が残っているではありませんか。後の護岸工事で新しいコンクリートが被さりながらも、しぶとく残っている例などは「邪険にされながら、よくぞ残っていてくれた」と感動モノです。