失われた鉄路をたどる1 "歴史"の仲間入りをした廃線

夏期企画展「夢をのせた信州の鉄道-失われた鉄路の軌跡-」を前に、県内の廃線を歩いています。今や、廃線歩き(歩鉄)のガイドブックやネット情報は多々あり、市民権を得た観があります。旧碓氷線(信越線)や篠ノ井線の旧線跡では、遊歩道や案内板などが整備され、“鉄ちゃん”ではないハイキング客・観光客がたくさん訪れています。
あたり前のことですが、特別な事情がない限り、鉄道会社の職員でもない我々が鉄路を“歩く”わけにはいきません。廃線でなくてはなりません。しかも、マニアでもない人々が訪れるということは、廃線に「・・・兵どもが夢の跡」といった歴史に裏打ちされた感傷や郷愁を感じてのことでしょう(単に歩きに来た人も?)。つい昨日のことだと思っていた事件(廃線決定日)が、“歴史”になりつつあるのでしょう。わが歴史館が目をつけるのもそのあたりです。
廃線が“歴史”の仲間入りをはじめたのはいつ頃でしょうか。きっかけの一つは1983年堀淳一『消えた鉄道 レール跡の詩』の刊行でしょう。「風土と歴史をあるく」シリーズの1冊で、続刊を見ると『山の辺の道』『鎌倉街道』『熊野古道』といった蒼々たる「歴史の道」がラインナップされています。鉄道関係の専門書や雑誌ではなく、歴史書の1巻に入ったのです。県内では、2014年に再版された小林宇一郎・小西淳一監修『信州の鉄道物語(上)消え去った鉄道編』の初版が1987年です。
近代日本の大動脈となった鉄道、その役割を道路・自動車に譲りつつ廃線が増加したのが1960年代以降とすると、「夏草や近代日本の夢の跡」として、廃線が歴史に加わったのが1980年代以降のようです。
次回からは、失われた鉄路の現地をたどっていきたいと思います。