屋代・雨宮低地にあった桂の林と、カツラ材の保存処理(木器保存処理室より5)

保存処理が終了した杭列の写真

 4月半ばを過ぎ、当館の木々も若葉が芽吹きはじめました。ハート型をした葉は、カツラ(桂)です。カツラ科カツラ属の日本特産の落葉広葉樹で、当館駐車場では、葉脈がやや赤みがかかった木と、赤みのない木が並んであります。
 実はこのカツラ、約2,000年前までは、当館周辺の低地一帯に広がっていました。
 平成4年、屋代遺跡群(高速道の五十里川と交差する地点から北側)の発掘調査で、縄文時代晩期の地層(?層)上面から、炭化した樹木痕がたくさん見つかり、樹種を調べてみるとカツラとケヤキでした。南側の更埴条里遺跡側でも同じ状況が見られたため、縄文時代には、広く樹木におおわれていたことがわかったのです。
 ところが、弥生時代中期(2,200〜2,300年前以降)になると、同じ場所に水路が設置され、本格的な水田開発がはじまりました。これ以後、「屋代たんぼ」へと景観が大きく変貌していったことが、発掘調査によって裏付けられたのです。
 一方、屋代遺跡群6区(更埴ジャンクションの少し南側)では、奈良時代(約1,250年前)の川にかかる杭列(橋脚か)にカツラ材が使われており、一昨年ようやく、保存処理が終了しました。また、千曲川対岸の社宮司遺跡では、平安時代(約1,000年前)の柱を支える礎盤などにカツラ材が使われており、現在、保存処理作業を進めているところです。
 このように、水田開発で低地林が伐採された後の奈良・平安時代でも、身近な材として、カツラが使われていたことがわかります。
 当館の庭木、あるいはお近くの神社の境内などで、ハート型の葉を見たら、屋代低地などでの、カツラとヒトの長い付き合いの歴史を思い出してみてください。

歴史館ブログ

ページ先頭へ戻る