名主(なぬし)の決死の覚悟が読みとれる古文書 冬季展「山国の水害」より
1742年8月27日から30日(旧暦7月27日から8月1日)にかけての豪雨により、死者約3,000人と言われる千曲川最大の洪水「戌(いぬ)の満水(まんすい)」が発生しました。被害は千曲川上流では支流の土石流、下流では本流の洪水によるものでした。被害の状況が各地に残されており、本資料はその一つです。延徳(えんとく)田んぼ23カ村の名主(なぬし)が直訴願書をもって江戸へ行ったこと、帰ってきた18カ村の名主の身なりが、旅費が足りなくなったために乞食のようだったこと、などが書かれています。決死の覚悟での直訴だったことがわかります。