御入峯日記
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御入峯供奉日記 4 ( 文化三年 ) 七月十五日、四ツ時京着、快晴、六*角 御役所江着届致ス、 同十六日、森*御殿着届ケ出ル、快晴、 坊官衆岩坊法印殿・小野沢宮内卿殿・ 雑務法橋殿、御取次伊地知多仲殿・ 玉木内記殿宅へ見舞、住心院殿候人 小嶋治部法橋・内藤兵部法橋殿宅へ見舞、 同十七日、御殿御*通り上納、 例年之通弐拾目五百文、八ツ半時相 済首尾好下ル、 同十八日、快晴、六角御役所上納、例 年之通、昼時廻札到来、左之通 覚 明十九日 御院参ニ付年行事中 如先例供奉被 仰出候、尤明十九日 *六角御役所:聖護院の院家いんげ住心院。住心院は当時京都六角通りにあった。 *森御殿:聖護院(本山派修験宗惣本山)の通称。宮門跡。名称の由来は周辺が聖護院の森と称されたことによる。広大な森は、明治維新の頃すべて伐採され諸藩の宅地となった。 *御通おとおり:御通式・御通礼といい、春嶺・秋峯で入峯修行する修験者が聖護院宮に御目見すること。修行のときの篠掛すずかけ皆具を着用し、位によって決められた御通料を納めた。源海が納めた御通料は准年行事の金額であり、引導役が無事終わって正年行事に補されたとも考えられる。
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