御入峯日記
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御入峯供奉日記 33 煎茶持参御迎出ル、御小休、北山ゟ 平地迄五里程有、次五十丁怒*田 御休、廿五丁行*仙、此間甚難処、雨 後ニ而道辷り六半時御着、葛川迄 御越被遊処、松明不足ニ付無拠行仙 宿に御入被遊御止宿、坊官・先達・年 行事其外一同宿、夜中かゝり火を 焚、庭に宿ス、御前米ニ而夜半頃粥一同 へ被下置候、甚大難義也、 廿八日、晴、五十丁登、笠*捨金剛童子、夫 ゟ少行貝吹峠、是ゟ貝吹始ル、熊野浦 能見へる、爰迄神主御出迎来ル、麻上下也、 五十丁下り葛川村入口へ麻上下ニ而鑓為持 郷主六七人出ル、御本陳禅宗長泉寺、 九半頃御着、先達・年行事御出迎申上ル、 廿九日、快晴、五ツ半時御出門、二十丁行 中むら御小休、夫より玉*置山へ着、玉置山 別当多門院御輿持御出迎、御取立 *怒田ぬた:第20行所怒田宿。奴多・泥田とも。行仙嶽の鞍部に位置する。現在は跡地のみ。 *行仙ぎょうせん:第19行所行仙嶽。行者堂があるが、現在は跡地も推定。 *笠捨かさすて:第18行所笠捨山。仙ケ嶽とも呼ばれ修行者はここで笠も脱ぎ捨てたくなるとされる。 *玉置山たまきさん:吉野郡十津川村玉置神社。第10行所。熊野三山の奥院といわれる。多門院など7坊15ケ寺と社家玉置氏があり、聖護院の支配であった。十津川郷の鎮守。
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