御入峯日記
14/69
御入峯供奉日記 14 日光宮様学頭与申、堺内広し 能寺也、御機嫌窺相済、旅宿被仰付 平木善兵衛方ニ止宿、是ゟ御殿御 賄也、吉野五日御滞留、 同七日、朝雨降、御休日、吉野山惣坊 中御目見被仰付、昼過明八日御 遠堂ニ付供奉被仰付候、 同八日、快晴、五ツ御供揃、四ツ時 御出門、蔵王権現御参堂、開帳 御拝有、次勝*手明神御参詣、神楽 有、御行列略之、九ツ時還御被遊候、 先達・年行事・御直*院・准年行事 御目見被仰付、相済罷帰ル、 同九日、快晴、御休日也、昼時より 御忍ひニ而吉*水院へ御成、御内之 御供計、御道具迄御略被遊候、 八ツ時御殿御召ニ付罷出候処、明日 *勝手明神:勝手神社。神振山を背後に鎮座する旧村社で、吉野山口神社ともいう。中世には修験者の信仰が厚く、古来軍神としても山の神としても尊ばれた。背後の山は神振伝説で有名。 *直院じきいん:聖護院門跡直接支配の修験。霞に入らず諸国に存在。 *吉水院よしみずいん:金峯山寺の格式高い僧坊。伝によると役小角休息の庵室としての創立いう。南朝の始め天皇の行在所あんざいしょとなった寺で、後醍醐天皇玉座の間がある。また、源義経が頼朝に追われたとき匿われたという義経潜居の間がある。明治初年廃寺となり吉水神社よしみずじんじゃと改称。
元のページ
../index.html#14