大井法華堂日記2022
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1 解題に代えて 本書は、令和元年に佐久市大井道也氏より長野県立歴史館に寄贈された「大井法華堂文書」のうち、江戸時代後期の法華堂第十八代当主源海が執筆した日記状の書留二冊を解読筆写したものである。 一冊は寛政八年(一七九六年)から文化五年(一八〇八年)まで、もう一冊は文化六年(一八〇九年)から文政四年(一八二一年)までの、合わせて二十五年間に亘る記録である。 法華堂は、聖護院を総本山とする本山派修験に属し、鎌倉時代より明治初期まで約五百五十年に亘って信州佐久郡岩村田に存続した。初代当主は、正和二年(一三一三年)聖護院門跡より熊野・仁所先達の補任状を授かったとされる源覚法印である。本解読文書執筆の源海は、寛政八年に二十五歳で家督相続し以後文政九年(一八二六年)に隠居するまで約三十年の長きに亘り当主を勤めた。大井章氏編著の記述によれば詩・俳句にも通じた文化人でもあり、法華堂史のなかでも文化文政期に最も活躍した人物であるとも云う。 今般解読文書の対象となっている時期は、岩村田藩においては第五代藩主内藤正国及び第六代藩主内藤正縄の治めた時期にあたる。 内容としては、寛政十一年修験道の祖役行者の千百年御遠忌法会や、文化三年聖護院門跡盈仁親王の大峯入峯に源海が引導役として供奉したことなどのほか、聖護院院家などからの様々な御触書も記されている。また、法華堂はじめ岩村田在の主な寺院と殿様との親しげなとも思える程の交わりなども記されており、そこにはまた藩財政への協力に少なからず寄与していることが窺える箇所もある。更には、藩の支配地内外で生じた出来事のなかで、文政元年幕府老中への駕籠訴の一件が長々と記されているのも印象的である。 何れにしても、法華堂と本山筋や岩村田藩役所などとの交流の一端を通して、江戸時代後期の岩村田における修験・寺院を取り巻く様子を色々な側面から窺い知ることができる大変興味深い史料である。 * 私達は昨年十月に歴史探訪として岩村田を訪れ、第五代内藤正国の菩提所でもある西念寺をはじめ法華堂の跡などを具に見学しました。往時を偲ぶよすがになったのではないかと思います。また県立歴史館の村石先生・大森先生のお取計らいで大井家現当主の道也氏にもご面会できました。この場を借りて右先生方には厚くお礼申し上げる次第であります。 令和四年一月
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