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2018年の投稿

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河童だより2 河童の顔出しパネルがお待ちしています!

お知らせ

 夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」では、河童が活躍し始める江戸時代以降の資料だけでなく、河童が誕生する前の人と水との関わりに関する考古資料など、100点以上を展示しています。資料をじっくり見ていただき、人と水との関わりを象徴する河童の姿を感じ取っていただければと考えています。しかし、見どころは企画展示室の中だけではありません。展示室前には、河童の顔出しパネルが皆さんをお待ちしています。リアルな河童の姿に一瞬とまどいを感じるかも知れませんが、観覧者のみなさまには好評で、連日多くの皆さんが撮影をされています。パネルの背景には、水をイメージした青いシートが敷かれています。
 ぜひみなさんも、夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」にお越しいただき、河童と出会ってください。

河童だより2 河童の顔出しパネルがお待ちしています!
[ 2018-06-21 ]

河童だより1 夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」がはじまりました。

お知らせ

 夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」が6月16日(土)より開催されています。オープニングでは、河童が薬の作り方を教えてくれた伝承が残る駒ヶ根市の本多教育長様と長野県教育委員会の原山教育長、当館の笹本館長がテープカットを行い、7月29日(日)までの展示がスタートしました。午後には、関西学院大学教授の西山克先生による講演「妖物の誕生」があり、展示と合わせ、大勢のみなさまにご参加いただきました。
 はっきりとしない梅雨空が続きますが、こんな天候こそが「河童日より」です。ぜひ、当館夏の企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」にお出かけください。

河童だより1 夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」がはじまりました。
河童だより1 夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」がはじまりました。
[ 2018-06-19 ]

夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」 6/16(土)〜7/29(日)

お知らせ

平成30年度夏季企画展
君は河童を見たか!−水辺の出会い−
開催期間:平成30年6月16日(土)〜7月29日(日)

 水は人にとって必要不可欠である一方、災いをもたらす原因でもありました。そのため、水と人の接点となる水辺は、生産の場であると同時に祈りの場でもありました。やがて水を制御できると考えはじめると、圧倒的な力を持つ神ではなく、河童が姿を現します。
 水辺に暮らす河童は、人が暮らす世界と水の世界を往き来し、人に幸を運んできたり、あるいは恐怖を与えてきたりしました。そして、人に寄り添いながら、時代とともに立場を変えていきます。
 本展示では、各時代における河童のイメージを通して、人の水に対する意識の変化を示します。そのことを通して、県内の水にまつわる景観を再認識し、河童ともども水辺への関心が高まることを願います。

○求む!河童情報 メール rekishikankappa@outlook.jp まで

○主な展示史資料
・「蛙状装飾付有孔鍔付土器」中越遺跡出土 縄文時代中期 宮田村教育委員会蔵
・「銅鑵子」長野市松代町大鋒寺蔵
・「寛永年中豊後肥田ニテ捕候水虎之図」 川崎市市民ミュージアム蔵
・「河伯手(河童の手)」 江戸時代 個人蔵
・月岡芳年「錦絵 和漢百物語 白藤源太」 江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵
・「『つうふうの妙茶』内包紙下書」 天竜かっぱ広場おもしろかっぱ館蔵
・小川芋銭「河童百図第六十五図 カッパ」昭和12年 牛久市蔵

○講演会「妖物の誕生」
6月16日(土) 13:30〜15:00
講師:関西学院大学文学部教授 西山 克 氏

○関連講座
7月14日(土) 13:30〜15:00
「河童が登場するまで−水と人との関係史−」
講師:寺内隆夫(当館職員)
「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」
講師:溝口俊一(当館職員)

夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」 6/16(土)〜7/29(日)
「銅鑵子」長野市松代町大鋒寺蔵
夏季企画展「君は河童を見たか!−水辺の出会い−」 6/16(土)〜7/29(日)
夏季企画展ポスター
[ 2018-05-17 ]

古文書公開日誌12 書判と印判の「判物」

お知らせ

5月の連休も終わり、日常生活に戻りました。古文書整理作業もこれからも順調にすすめていきます。
 さて、当館に収蔵される古文書はどういうルートではいってくるかご存知ですか。
 1つは書店から購入する方法です。各月、県外の古書店から「古書目録」が送付されてきます。そのなかで県内関係の古文書をピックアップします。場合によっては、該当する市町村の担当の方に情報を提供し状況を共有しています。
 第2は寄贈・寄託というルートです。個人の所有者の方から寄付されるものが「寄贈」、緊急避難的に史料をお預かりするのが「寄託」。とくに近年では、土蔵を壊した際に古文書が保管できなくなったというお話もたびたび耳にします。「古いものだから」といって焼却したり、ごみとしてしまうと、ご先祖様の大切な記録が永久に失われます。そんなときなどお困りのことがありましたら、捨ててしまう前に当館までご一報いただければ幸いです。地元の教育委員会様と連携しながら適切な解決方法が見出せればと思います(ただし収蔵スペースの問題もあり当館でのお引き受けを確約するものではありませんが)。
 さて5月には飯田藩士杉本家文書(寄託史料)を整理しました。
 系譜によると、杉山家はもともと烏山藩(栃木県)初代堀親良に仕官したといいます。堀家御普請奉行・代官を勤め、その後堀家が飯田に転封になって飯田藩士となった家です。最後は300石高の知行取でした。
 藩士の家の史料は、様ざまな書簡や知行証文、借用証文、家の芸能書(故実書)など多様な史料で構成されています。しかし本史料群には、系譜および歴代藩主より与えられた知行判物しか残っていません。ある段階で家の重要書のみが分けられそれ以外は散逸したのでしょうか。
 この史料は飯田藩主のうち初代を除く代々の藩主からの判物が含まれています。判物とは、将軍や藩主の花押の据えられた文書で知行の給与がおこなわれるものです。また本史料群には同じ家に対して黒印状による知行安堵も見られます。書判の「判物」と印判の「判物」の差は、前者が重臣ランク、後者はそれ以下の武士対象、という言わば「家格の高低」の差によるとされます。杉本家はその中間にあったランクの家といえるのでしょうか。

古文書公開日誌12 書判と印判の「判物」
元文3(1738)年 堀親蔵判物
[ 2018-05-09 ]

ナウマン君復活!

お知らせ

 常設展示室入口のナウマン君(ナウマンゾウのオス模型)が復活しました。
 22歳を過ぎた頃から体調をくずし、首を振ってごあいさつできなくなっていました。この春、二度目の手術が成功し、ようやく元気になりました。春先に見学に来てくれた人たちから「動かなくて残念だな」という声をたくさんいただきましたが、もう大丈夫です。今まで以上に大きく首を振ってごあいさつできるようになりましたので、みなさん、会いに来てください。
 また、縄文時代の竪穴住居の中で、縄文人に捕まって吊されていた、という設定だったキジが移動しました。お気づきになったでしょうか。今年度は自由の身になって、阿久ムラの中のとある場所で、活き活きとムラの様子をうかがっています。どこに居るか探してみましょう。また、一昨年からムラの中をうろうろしているウ〜リ〜ちゃん(イノシシの幼獣=うり坊)も健在です。縄文時代のムラは、動物たちが出入り自由な空間だったことを感じていただければ幸いです。
 ウ〜リ〜ちゃんは、今年度も居場所が時々変わりますので、楽しみにしてください。どこに行ったかは、時々、このブログでご報告します。

ナウマン君復活!
ナウマン君復活!
[ 2018-05-05 ]

古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−

お知らせ

 平和な江戸時代の農村。しかし突然、村中を揺るがす事件が起こることもあります。埃だらけの文書のなかから、突如殺人事件の記録が出てきました。
 ときは1724(享保9)年9月。小県郡のある村で事件は起こりました。9月14日の夜半、手塚新町村(上田市)在住の六兵衛がこの村の住民によって不意に打ち殺されたというのです。早速取調がおこなわれました。山伏の宝壽院という下手人がいうには、「自分の村で夏に出火があり、村人が用心していた、秋になり六兵衛が来村し村人に絡んできたので怪しいやつだと思っていた、そしてその日の夜六兵衛が又三郎という男の家に入り込んだのです、又三郎当人は不在で母親だけが寝ていたが、彼女は驚き、私の所へ通報してきた。夜半であったので私も様子をうかがい(翌日役所へ)届け出ようとしたが、もってのほかのことに六兵衛が悪口を浴びせてきて脇差しで抵抗してきたのです。私と打ち合いになりました。そして当たり所が悪かったのか、六兵衛は即死してしまった。六兵衛は当村のあた(仇)であると思ったので打ち殺したが、役人に届け出ず報告が延行してしまったのは当方の不調法です」と弁明しています。これに対し、妻は「夜中であったので寝ていたのでまったくわからない」と答えています。村名主らも「村内外において宝壽院を手伝ったものは壱人もいない、また今後一切この件について難癖をつける者がおりませんことを連印してお誓いします」と述べています。
 これらからは緊迫感の伝わる文書が何通も含まれています。これらは現在整理中ですが、面白い文書だったので紹介しました。これらは「小県郡関係地方(じかた)文書」として近々目録が完成する予定です。

古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−
古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−
[ 2018-04-14 ]

常設展示室に河童形土偶が登場

お知らせ

 3月の常設展示室リニューアルに合わせ、初めてお披露目する資料を縄文コーナーに登場させました。千曲市屋代遺跡群(高速道地点?区)の地下6mで発見された、縄文中期前葉(約5,500年前)のムラ跡から出土した土偶です。
 そんなに深い所に埋まっていたのだから、完全な形で残っていても良さそうなものですが、すべてバラバラな状態で見つかっています。実は全国的にみても、約20?以下の小形の立像土偶には、完全な形をしたものがほとんどありません。これは、祭りや呪いなどに使われた後、わざと壊してしまったためと考えられています。この点は、丁寧に埋められていた国宝「縄文のビーナス」(複製を展示)などの大形の立像土偶とは明らかに扱い方が違っています。
 さて、屋代遺跡群の土偶を見ると、頭の上が真っ平らか、わずかに凹んでいることがわかります。こうした特徴は、縄文時代中期の長野県北半部〜北陸・新潟方面に多くみられ、現代の考古学者たちは「河童形土偶」と呼び習わしています(縄文人が何と呼んでいたかは不明です)。
 どうして、こんな頭の形をしているのでしょうか。土偶は、精霊(カミ)の姿を表現したものと考えられています。そのため、人間に似せていたとしても人間ではないことを示すため、形やバランスを変えていたようです。頭が平らな方が、何か特別な力が出ると考えたのでしょうか。そのあたりの事情も、今ではわからなくなっています。みなさんも想像をふくらませてみてください。
 河童形土偶は、夏季企画展「君は河童を見たか!」(6月16日〜7月29日)の期間中も常設展示室で展示しています。ぜひ、あわせてご覧下さい。

常設展示室に河童形土偶が登場
[ 2018-03-24 ]

長野県立歴史館「信州を学ぶ」シリーズの発刊

お知らせ

 長野県立歴史館では、「信州を学ぶ」シリーズ第1弾・足元を探る編として、『日常生活からひもとく信州』を発刊します。
 信州の衣食住にかかわる歴史をさまざまな角度からわかりやすく掘り下げた1冊です。
 当館ミュージアムショップでは、3月21日(祝・水)から発売します。
 どうぞお買い求めください。

●編著者:長野県立歴史館
●出版社:信濃毎日新聞社
●種 類:単行本(ソフトカバー)
●頁 数:226ページ

長野県立歴史館「信州を学ぶ」シリーズの発刊
[ 2018-03-10 ]

カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!

お知らせ

来館したみなさまに好評な当館1階エントランスのカプセルトイに新シリーズが加わりました。やわらかい埴輪「ふにわ」です。1回200円で、全7種類があります。何とも愛嬌のある表情で、持つと想像以上のやわらかく、こちらの力も抜けそうです。日頃感じている緊張感をほぐしてくれます。お子様にも人気が出そうです。
「ふにわ」以外にも変わらぬ人気を誇る「埴輪と土偶+土器&青銅器」(1回200円)、コップの縁にかけることができる「土偶と埴輪」(1回300円)、子どもたちに人気の「武将甲冑フィギュア」(1回300円)もあります。当館見学の記念にいかがでしょうか。

カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!
カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!
[ 2018-03-09 ]

河童とヒョウタン

お知らせ

ご存じのとおり、河童の好物といえばキュウリなどのウリ(瓜)です。一方、苦手なのがヒョウタン(瓢箪)です。いずれも、日本列島で古くから食用や道具の材料として重宝されてきた栽培植物で、水や水の神様と関わりの深い使い方もされてきました。
 河童が水分をたっぷりのウリを好むのはわかります。では、なぜヒョウタンが苦手なのかと言うと、その浮力にあるようです。『まんが日本昔ばなし』の「かっぱとひょうたん」では、河童が「田んぼに水を引くかわりに娘を嫁にくれ(水中に引き込む)」と条件を出しますが、機転の利く娘が「嫁入り道具の大きなヒョウタンを運んで」と答えます。河童はどんなに頑張っても浮いてしまうヒョウタンに根負け、自分が田んぼの水を抜いたことを白状して詫び、その後は、無条件で水を引いてくれるようになった、という話です。熊本では、河童はヒョウタンを持った人を見ると逃げる、との話もあります。
 似た話で最も古いのは『日本書紀』仁徳天皇11年(古墳時代)、現在の淀川(大阪府)に茨田堤(まんだのつつみ)を作る際、神のお告げで人柱にされることになった茨田連衫子(まんだのむらじころものこ)が「真の神なら、ひさご(ヒョウタン)を沈めてみろ」と返答、沈まないのをみて難を逃れた、という話があります。
 水界に引き込まれ(溺れ)ないためのヒョウタン、引き込めない河童=真の神ではない、よって河童はヒョウタンが苦手、ということのようです。
 蛇足ですが、近・現代になって描かれた河童は、そんなことはお構いなしに、ヒョウタン徳利に入ったお酒をたしなむようになります。河童も成長?したのでしょうか。
 前置きが長くなりましたが、県内では、長野市篠ノ井遺跡群の古墳時代の井戸枠のさらに下から、たくさんの土器とともにヒョウタンが出ています。この場合、ヒョウタンが浮いてくることを期待されていないので、井泉の神への捧げものの一つだったのかもしれません。
 ※「君は河童を見たか!−水と人の関係史-」展 6月16日(土)〜7月29日(日)

河童とヒョウタン
井戸底近くまで広く掘削し、井戸枠を取りあげる
河童とヒョウタン
井戸枠をはずすと井戸底からヒョウタンが出土
[ 2018-02-16 ]
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