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2018年の投稿

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古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−

お知らせ

 平和な江戸時代の農村。しかし突然、村中を揺るがす事件が起こることもあります。埃だらけの文書のなかから、突如殺人事件の記録が出てきました。
 ときは1724(享保9)年9月。小県郡のある村で事件は起こりました。9月14日の夜半、手塚新町村(上田市)在住の六兵衛がこの村の住民によって不意に打ち殺されたというのです。早速取調がおこなわれました。山伏の宝壽院という下手人がいうには、「自分の村で夏に出火があり、村人が用心していた、秋になり六兵衛が来村し村人に絡んできたので怪しいやつだと思っていた、そしてその日の夜六兵衛が又三郎という男の家に入り込んだのです、又三郎当人は不在で母親だけが寝ていたが、彼女は驚き、私の所へ通報してきた。夜半であったので私も様子をうかがい(翌日役所へ)届け出ようとしたが、もってのほかのことに六兵衛が悪口を浴びせてきて脇差しで抵抗してきたのです。私と打ち合いになりました。そして当たり所が悪かったのか、六兵衛は即死してしまった。六兵衛は当村のあた(仇)であると思ったので打ち殺したが、役人に届け出ず報告が延行してしまったのは当方の不調法です」と弁明しています。これに対し、妻は「夜中であったので寝ていたのでまったくわからない」と答えています。村名主らも「村内外において宝壽院を手伝ったものは壱人もいない、また今後一切この件について難癖をつける者がおりませんことを連印してお誓いします」と述べています。
 これらからは緊迫感の伝わる文書が何通も含まれています。これらは現在整理中ですが、面白い文書だったので紹介しました。これらは「小県郡関係地方(じかた)文書」として近々目録が完成する予定です。

古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−
古文書公開日記11−宝寿院殺人事件−
[ 2018-04-14 ]

常設展示室に河童形土偶が登場

お知らせ

 3月の常設展示室リニューアルに合わせ、初めてお披露目する資料を縄文コーナーに登場させました。千曲市屋代遺跡群(高速道地点?区)の地下6mで発見された、縄文中期前葉(約5,500年前)のムラ跡から出土した土偶です。
 そんなに深い所に埋まっていたのだから、完全な形で残っていても良さそうなものですが、すべてバラバラな状態で見つかっています。実は全国的にみても、約20?以下の小形の立像土偶には、完全な形をしたものがほとんどありません。これは、祭りや呪いなどに使われた後、わざと壊してしまったためと考えられています。この点は、丁寧に埋められていた国宝「縄文のビーナス」(複製を展示)などの大形の立像土偶とは明らかに扱い方が違っています。
 さて、屋代遺跡群の土偶を見ると、頭の上が真っ平らか、わずかに凹んでいることがわかります。こうした特徴は、縄文時代中期の長野県北半部〜北陸・新潟方面に多くみられ、現代の考古学者たちは「河童形土偶」と呼び習わしています(縄文人が何と呼んでいたかは不明です)。
 どうして、こんな頭の形をしているのでしょうか。土偶は、精霊(カミ)の姿を表現したものと考えられています。そのため、人間に似せていたとしても人間ではないことを示すため、形やバランスを変えていたようです。頭が平らな方が、何か特別な力が出ると考えたのでしょうか。そのあたりの事情も、今ではわからなくなっています。みなさんも想像をふくらませてみてください。
 河童形土偶は、夏季企画展「君は河童を見たか!」(6月16日〜7月29日)の期間中も常設展示室で展示しています。ぜひ、あわせてご覧下さい。

常設展示室に河童形土偶が登場
[ 2018-03-24 ]

長野県立歴史館「信州を学ぶ」シリーズの発刊

お知らせ

 長野県立歴史館では、「信州を学ぶ」シリーズ第1弾・足元を探る編として、『日常生活からひもとく信州』を発刊します。
 信州の衣食住にかかわる歴史をさまざまな角度からわかりやすく掘り下げた1冊です。
 当館ミュージアムショップでは、3月21日(祝・水)から発売します。
 どうぞお買い求めください。

●編著者:長野県立歴史館
●出版社:信濃毎日新聞社
●種 類:単行本(ソフトカバー)
●頁 数:226ページ

長野県立歴史館「信州を学ぶ」シリーズの発刊
[ 2018-03-10 ]

カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!

お知らせ

来館したみなさまに好評な当館1階エントランスのカプセルトイに新シリーズが加わりました。やわらかい埴輪「ふにわ」です。1回200円で、全7種類があります。何とも愛嬌のある表情で、持つと想像以上のやわらかく、こちらの力も抜けそうです。日頃感じている緊張感をほぐしてくれます。お子様にも人気が出そうです。
「ふにわ」以外にも変わらぬ人気を誇る「埴輪と土偶+土器&青銅器」(1回200円)、コップの縁にかけることができる「土偶と埴輪」(1回300円)、子どもたちに人気の「武将甲冑フィギュア」(1回300円)もあります。当館見学の記念にいかがでしょうか。

カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!
カプセルトイに新シリーズ「ふにわ」登場!
[ 2018-03-09 ]

河童とヒョウタン

お知らせ

ご存じのとおり、河童の好物といえばキュウリなどのウリ(瓜)です。一方、苦手なのがヒョウタン(瓢箪)です。いずれも、日本列島で古くから食用や道具の材料として重宝されてきた栽培植物で、水や水の神様と関わりの深い使い方もされてきました。
 河童が水分をたっぷりのウリを好むのはわかります。では、なぜヒョウタンが苦手なのかと言うと、その浮力にあるようです。『まんが日本昔ばなし』の「かっぱとひょうたん」では、河童が「田んぼに水を引くかわりに娘を嫁にくれ(水中に引き込む)」と条件を出しますが、機転の利く娘が「嫁入り道具の大きなヒョウタンを運んで」と答えます。河童はどんなに頑張っても浮いてしまうヒョウタンに根負け、自分が田んぼの水を抜いたことを白状して詫び、その後は、無条件で水を引いてくれるようになった、という話です。熊本では、河童はヒョウタンを持った人を見ると逃げる、との話もあります。
 似た話で最も古いのは『日本書紀』仁徳天皇11年(古墳時代)、現在の淀川(大阪府)に茨田堤(まんだのつつみ)を作る際、神のお告げで人柱にされることになった茨田連衫子(まんだのむらじころものこ)が「真の神なら、ひさご(ヒョウタン)を沈めてみろ」と返答、沈まないのをみて難を逃れた、という話があります。
 水界に引き込まれ(溺れ)ないためのヒョウタン、引き込めない河童=真の神ではない、よって河童はヒョウタンが苦手、ということのようです。
 蛇足ですが、近・現代になって描かれた河童は、そんなことはお構いなしに、ヒョウタン徳利に入ったお酒をたしなむようになります。河童も成長?したのでしょうか。
 前置きが長くなりましたが、県内では、長野市篠ノ井遺跡群の古墳時代の井戸枠のさらに下から、たくさんの土器とともにヒョウタンが出ています。この場合、ヒョウタンが浮いてくることを期待されていないので、井泉の神への捧げものの一つだったのかもしれません。
 ※「君は河童を見たか!−水と人の関係史-」展 6月16日(土)〜7月29日(日)

河童とヒョウタン
井戸底近くまで広く掘削し、井戸枠を取りあげる
河童とヒョウタン
井戸枠をはずすと井戸底からヒョウタンが出土
[ 2018-02-16 ]

古文書公開日記10−古文書愛好会 今日もゆく−

お知らせ

 毎年恒例の古文書愛好会演習の季節です。古文書愛好会は、当館の古文書講座を数年受講された方々で、さらに実力を付けたいという方が中心になって結成された学習サークルです。現在約60名の方が参加されています。そのなかで、冬季に当館の未整理文書群の読み込みをおこない、粗目録を作成し整理する作業が「古文書演習」です。本年度は佐久郡上平尾村森泉家文書、水内郡古山村戸谷家文書、そして埴科郡森村中澤家文書の整理をおこなっています。今年は30名の参加で2月末まで計18日間開催します。いずれも昨年度および今年度に当館へ寄贈された史料です。まったく未見の史料ですので、一通一通何が出てくるかワクワクしながらの作業です。古文書読解は、当時生きていた人びとの「生の文字」を読むものです。そこから江戸時代の人の声やにおいが伝わってきそうです。なのでコピーや写真では分からない発見もしばしばです。
 整理するのは古文書だけではありません。今日も近世後期の和歌結社(サークル)の連歌短冊や、養蚕関係の蚕種紙、和宮降嫁時の助郷役の苦労談などがでてきました。江戸時代の庄屋は地域の文人の集まる場でもありました。中澤家の当主を描いたと思われる肖像画、きっとお酒が好きだったのでしょうね。作業されている最長老のTさんに似ているともっぱらの評判です。
 愛好会にご関心のある方は、事務局(県立歴史館文献史料課)までお問い合わせ下さい。大勢の方に古文書へ興味を持っていただければ幸いです。

古文書公開日記10−古文書愛好会 今日もゆく−
江戸時代の一人酒(森村中澤家文書)
古文書公開日記10−古文書愛好会 今日もゆく−
愛好会の整理作業風景
[ 2018-02-14 ]

復活!松原縄文人のおしゃれグッズを展示

お知らせ

 昨秋の企画展「進化する縄文土器」にあわせ、常設展示室の縄文コーナーも縄文中期の土器が大半を占めていました。ご堪能いただけたでしょうか。1月からは、徐々に縄文人の生活全般がわかる展示に戻していく予定です。
 その第1弾として、1月11日(木)より、長野市松原遺跡出土の「の」字状石製品など、装身具5点を復活させました。当館HPのトップページや「展示のご案内(原始)」に写真を載せていた優品です。待望されていたみなさん、お待たせいたしました。
 松原遺跡の装身具は、縄文時代前期末〜中期初頭(約5,700〜5,500年前)のものです。玦状耳飾(けつじょうみみかざり)は、縄文時代前期に流行した耳飾で、原形は中国大陸にあります。残念ながら上部が割れているので、図を参考にして全体像をご確認ください。素材の石は白っぽい緑泥岩を使っています。残りの4点は、ちいさな孔にひもを通して胸元に下げた垂飾(たれかざり)です。素材の石は、つやのある深い緑色をした蛇紋岩を使っています。新潟県糸魚川市や周辺が原産地で、木を伐りたおす斧(磨製石斧)の材料に使われたひじょうに硬い石です。そんな石を、ギターのピックのようになるまで薄く磨きあげ、形を整えるのは、たいへんな作業だったと考えられます。
 すぐ隣りには、原村阿久(あきゅう)遺跡出土の装身具を展示しています。こちらも縄文時代前期ですが、松原遺跡より古い前期前葉〜後葉(約6,600〜5,800年前)のものです。玦状耳飾は全体に丸い形をしており、流行の違いが感じられます。その他の垂飾品は、丸い石や管状の石に孔を空けただけで、松原遺跡よりも簡素な印象です。
 みなさんは、どちらがお好みでしょうか。常設展示室で品定めをするとともに、縄文人の技術力の高さや、おしゃれの意味(女性に限らず、男性有力者や呪術者だったかも)に思いを寄せててみてください。

復活!松原縄文人のおしゃれグッズを展示
長野市松原遺跡出土の装身具
復活!松原縄文人のおしゃれグッズを展示
原村阿久遺跡出土の装身具
[ 2018-01-17 ]

古文書公開日記9−江戸時代のお医者さん−

お知らせ

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。新年早々新しい購入史料の整理が終わりましたのでご紹介します。今回ご紹介するのは「高島藩医関家文書」10点です。江戸時代の地方の医者の系譜類が残されています。
 関氏は佐久源氏平賀氏の流れで、戦国時代は木曽義昌、ついで諏方頼重に仕えていました。頼重の死後、武田氏の家臣となり50石の地侍として仕官し、江戸時代は高島藩士となります。
 高島藩の医師としての活動が見いだせるのは江戸時代中期1738(元文3)年、盛信の孫盛喜が江戸の医師大澤玄随に学んでからです。盛喜は玄悦を名乗ります。 
 興味深いのは玄悦の経歴です。高島藩士でありながら、玄悦は尼崎藩松平氏の扶持を得ていました。三人口(扶持)という少禄でした。さらに鳥羽藩藩主稲垣氏に召し抱えられ、扶持米も増えました。家の歴史を記した系譜「家乗(かじょう)」によれば鳥羽藩時代には藩主から白無垢着用、帯刀も免許されたと記されています。そしてふたたび諏訪へ戻ることになり、上諏訪へ転居したのが1785(天明5)年でした。諏方氏ゆかりの頼岳寺に祀られました。
 以上の「家乗」の記述からは、武士でありながら医業に携わっていた関家の経歴がわかるのですが、興味深いことは、藩医として各藩のお抱えとして仕官先をたびたび代えていたことです。医業は専門職で、求めに応じて仕官先を転々としたことがわかります。
 まるで江戸時代の「Doctor X」と言えるのではないでしょうか。

古文書公開日記9−江戸時代のお医者さん−
写真1 「系譜」関氏の武士としての出自が記される
古文書公開日記9−江戸時代のお医者さん−
写真2 関玄悦の項
[ 2018-01-11 ]
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