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頑張ってます!中学生の職場体験学習

お知らせ

 9月25日(木)に千曲市・屋代高校附属中学校2年生1名の職場体験学習がありました。たった一日だけの職場体験学習でしたが、非常に内容の濃い学習ができました。
 午前中は、古文書書庫に入って史料整理の意味や方法を学んだ後、実際に閲覧史料の整理作業に取り組みました。一定のルールに従って分類されている史料を元あった場所に戻していく地道な作業ですが、県立歴史館ではとても大切な仕事です。Sさんも自分に任された仕事の責任の大きさを感じていたようです。
 午後は、東京都から長野へ宿泊学習にやってき中野区立新山小学校6年生への展示解説にチャレンジしました。S君の担当は鎌倉時代の善光寺門前の解説でした。事前に準備してきた説明原稿を握りしめ、小学生の反応を見ながら落ち着いて展示解説している姿は非常に頼もしく、中学生とは思えないような堂々とした姿でした。
 午後の後半には、土器や石器や古銭など考古資料の整理作業に取り組みました。実際に閲覧希望のあった考古資料を遺物収蔵庫の棚から取り出す作業をしながら、県内出土の本物の和同開珎を手にとって見ることができたようで、本物のもつ資料の輝き以上にS君の目が輝いていました。たった一日だけの職場体験学習でしたが、社会で働く上で大切なことや仕事としての博物館職員のやり甲斐を感じてくれたらうれしいです。

頑張ってます!中学生の職場体験学習
職場体験学習の様子から(屋代高校附属中学校)
[ 2014-10-01 ]

歴史館中庭のドングリを使ってクリスマスリース作り(12/20予告)(木器保存処理室より10)

イベント

 9月に猛暑が続いた近年に比べ、今年は、秋の気配が早く感じられ助かります。しかし、歴史館中庭のコナラにはほとんど実がありません。なぜ、コナラの実が気になるかと言うと、冬季展のイベントで「縄文風クリスマスリース作り」を計画しているからです。
 「縄文とクリスマスを合わせるとは何ごとか」とお叱りを受けるかも知れませんが、対象は保育園から小学校低学年の子ども達と保護者に絞っています。縄文時代への関心がほとんどない世代に、ドングリが大事だったということを知ってもらえれば、成功と考えてます。歴史館裏山で採れるアオツヅラフジやアケビの蔓で輪を作り、クヌギやコナラ・ミズナラ・クルミ等、当館中庭の「縄文の森」の恵みを使う予定です。
 さて、これまでは、農耕が始まったから定住生活ができるようになった、というのが定説でした。ところが、縄文時代初頭(約1万年前頃)にはじまった温暖化で、北半球の中緯度地帯がドングリ等の森で覆われることになり、大型獣を捕まえにくくなり、定住生活に移らざるを得なくなった、という説が有力になってきました。農耕は、その後にはじまったのです。重要なのは、イノシシ・シカや魚に加え、大きく増えたドングリ類を食生活に使うことです。
 縄文時代の日本列島、特に東日本地域では、深い鍋が発達します。寒い冬に鍋料理もよいのですが、ドングリの中でもエグ味のある類は、アク抜きの必要があります。深い鍋(深鉢形土器)は、こんな時にも重宝したと考えられます。生活を支える深い鍋への思慕、信頼、祈り、そんな気持ちから、深鉢形土器への過剰な装飾が発達していった可能性があります。

★11月29日(土)〜2月1日(日)「縄文土器展 デコボコかざりのはじまり」ご期待ください。

歴史館中庭のドングリを使ってクリスマスリース作り(12/20予告)(木器保存処理室より10)
クヌギは青い実をつけている(歴史館の脇)
[ 2014-09-18 ]

漆製品の調査と保存処理(木器保存処理室より9)

イベント

 来年秋に予定されている「(仮)木器展」に向け、新潟県へ出土木製品の調査に行ってきました。主な目的は、長野県内で発見例がほとんどない縄文時代の漆製品の調査です。樹木と人が関わり合う歴史において、縄文時代は、樹木利用が本格化する時代にあたります。それを象徴する事例の一つが漆(ウルシ)です。そして、その後の長い歴史の中で、漆器が「ジャパン」と呼ばれるように、日本を代表するモノになっていきました。
 当館でも、東條遺跡などの出土漆製品(写真1)を所蔵していますが、保存処理が完了したものはごくわずかです。漆器は、木の器本体部分と、表面の漆部分の性質が異なるため、手間暇かけて処理しないと、漆塗面に皺が寄ったり、剥がれ落ちてしまったりする危険性があります。今後、通常の木製品処理に忙殺される合間を縫って、少しずつでも手をつけていきたいと考えています。
(写真2)屋代城跡で見つけたウルシ科の樹木
 ところで、ウルシは縄文時代草創期に大陸から持ち込まれ、前期に本格的な利用がはじまったとされています。しかし、野生化した例はわずかで、現在でも、栽培したものがほとんど。先日、屋代城跡の遊歩道を上っていくと、比較的日当たりのよい所にウルシ科の樹木が密生していました(写真2)。ウルシ科には、ウルシ以外にも、ヤマウルシ、ヤマハゼ、ヌルデ、ツタウルシなど、かぶれる仲間が多いので、注意しましょう。

漆製品の調査と保存処理(木器保存処理室より9)
写真1
漆製品の調査と保存処理(木器保存処理室より9)
写真2
[ 2014-08-12 ]

長野県内の小・中・高校の校歌に多く出てくる山は?

イベント

 今年6月、長野県内の小学校・中学校・高等学校に校歌の中に出てくる山についてのアンケートを実施させていただきました。おかげさまで、すべての学校の校歌を知ることができました。ご協力ありがとうございます。
廊下に掲示しているアンケート結果 その回答をもとに集計・分析を加えさせていただきました。地形との関係、それぞれの地域で親しまれている山や存在感のある山など、納得することから意外な結果まで、考えさせられることが多かったです。
 ここで問題です。

○県内600校超のうち、70校以上の学校に登場し、見事1位に輝いたのはどの山(山脈)でしょうか。
○上位20位の中に県外の山が1つだけ含まれています。どの山でしょうか。
○北信五岳の中で突出して多く出てくる山はどこでしょうか。また、この山を詠う校歌のうち、山頂からの距離がもっとも遠い学校はどこでしょうか。

 答えは、当館にお越しいただき、ご確認ください。企画展示室の廊下に掲示しています。
      *      *      *
当館入口の夏季展看板 7月26日(土)より、夏季展「山とともに生きる」が始まりました。「信州山の日」制定を記念して、信州での山と人びとの関わりをあらためて振り返る場となれば幸いです。
 黒曜石の原石・石器、食事や祈りのための石器、産業資源としての木材利用に関する資料、近代登山をめぐる道具や著作、絵画、観光パンフレットなど、豊富な展示資料をご用意しております。
 約1ヶ月間限定の企画展です。多くの皆様の来館をお待ちしております。

長野県内の小・中・高校の校歌に多く出てくる山は?
長野県内の小・中・高校の校歌に多く出てくる山は?
[ 2014-07-29 ]

職場体験学習

お知らせ

 7月8日(火)と9日(水)の2日間にわたり、長野市立篠ノ井西中学校2年生5名の職場体験学習がありました。
 古文書の整理 1日目は、社会見学で歴史館を訪れていた東京都の小学校6年生の学校解説の見学や、閲覧室で図書の整理や配架作業に取り組みました。学校解説を行った職員にインタビューをしながら展示解説の工夫や仕事のやり甲斐について学んだり、歴史館で受け入れた書籍を指定された棚に配置したりして、来館者が閲覧図書をよりよく利用できるように地道な作業重ねていることを感じ取っていたようです。
 2日目は、8月の「歴史館で夏休み」の石のアクセサリーづくりで販売する勾玉キットの製作を行いました。4センチ四方の滑石に電気ドリルで穴をあける作業を汗だくになって取り組みました。また、考古資料課では考古学的な遺物の整理について話を聞いたり、文献史料課では古文書や行政文書の保存の意味や史料の活用について話を聞いたり、実際に配架作業にも取り組みました。
 行政文書の整理 2日間の職場体験を通して、5名の生徒たちが過去の歴史と向き合う仕事の面白さや地道にコツコツと作業を積み重ねていくことの大切さを感じ取ってくれていたら、うれしいです。
 次回の中学生の職場体験学習は、9月に千曲市立埴生中学校の2年生の皆さんが行います。生徒たちが目を輝かせる姿が今から楽しみです。

※当館では、年間5〜10校程度の職場体験学習をお引き受けしています。詳細については、お問い合わせください。

職場体験学習
職場体験学習
[ 2014-07-15 ]

県内最古の「蘇民将来符」、保存処理はじまる(木器処理室より8)

お知らせ

 6月初旬、永らく冷蔵保管していた木簡の保存処理に踏み切りました。中には、平成18年度に「県内初出土!県内最古!」と注目された千曲市東條遺跡出土の「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」(写真1)も含まれています。
 蘇民将来符は、蘇民将来という人が旅人(実は薬師如来の化身の牛頭天王)に宿を貸した際、旅人に言われたとおり、代々「蘇民将来子孫人也」と書いた札を門口にかけたところ、子々孫々まで無病息災で繁栄した、という伝承にちなんで作られた護符です。今では、大きなにぎわいを見せる上田市信濃国分寺の八日堂縁日が知られています。
 ちなみに、信濃国分寺の例は六角柱(写真2)ですが、全国各地にはさまざまな形の例があり、木札状のものや、紙でできたものもあります。東條遺跡例は、薄い木札で、長さ約23センチ弱、幅3センチ弱、厚みは1ミリ程度です。表に「蘇民将来子孫人□□」(□内は判読不明)、裏には陰陽道(おんみょうどう)でセーマンと呼ばれる「☆」が一つ付いています。
(写真2)わが家にもある信濃国分寺の蘇明将来符 13世紀後半〜14世紀の室町時代窪地から出土しており、県内最古の例とされています。全国で80例余り出土しており、古い例では、奈良時代にさかのぼる京都府の長岡京跡の例があります。
 今年度内に、保存処理を済ませ、来年には、みなさまにお目にかける機会をつくりたいと考えています。平成27年度の秋頃の予定です。ご期待ください。

県内最古の「蘇民将来符」、保存処理はじまる(木器処理室より8)
県内最古の「蘇民将来符」、保存処理はじまる(木器処理室より8)
[ 2014-07-10 ]

ヒノキ材が活躍する保存処理(木器保存処理室より7)

お知らせ

 木器保存処理室では、連日30℃近くまで室温が上昇するようになりました。そんな中、千曲市社宮司遺跡、東條遺跡等の木製品を沈めたPEG槽で、濃度を上げる作業をおこないました。溶液温度が50℃を超えるPEG槽の蓋(ふた)を開け、ゴーグル・マスクなどをつけた状態での作業のため、体感温度はなかなかのものでした。
 今回は、3週間ほどかけて、小学校のバックヤード探検や、他業務の合間を見ては、毎日コツコツと作業を重ね、6月初旬に、C槽を20%→40%、B槽を40%→60%に濃度を上げました。考古資料課職員のほか、ボランティアさん2名にもお手伝いいただき、たいへん助かりました。
 この作業にあたっては、昨年度導入した電動撹拌機(写真:台に固定したもの)が、大活躍しました。しかし、微妙な溶剤の撹拌には手作業が一番で、ここで活躍したのがヒノキ製のかき回し棒です。写真のように、ヒノキは、左手でPEG粒を振りかけながら、右手一本でも扱えるほど軽く、そのうえ強度があり、通直で耐朽性にも秀でている優れものです。
 ところで、遺跡から出土する木製品を見ると、西日本では古来から、建築材をはじめとして多用途にヒノキが利用されていたようです。しかし、長野県の古墳時代〜平安時代の資料では、ヒノキに近いサワラを大量に利用していたことがわかっています。なぜ、サワラだったのか、今後調べていきたいと思います。

※PEGについては、過去の記事(「木器保存処理室より」…第1回・第2回・第4回)にも詳しくありますので、あわせてご覧ください。(新しいウィンドウで記事が開きます。)

ヒノキ材が活躍する保存処理(木器保存処理室より7)
[ 2014-06-10 ]

屋代の低地に広がっていたケヤキとケヤキ製品(木器保存処理室より6)

お知らせ

 前回、屋代地区にはカツラやケヤキの茂る低地林があり、それが、弥生時代中期以降の水田開発によって消滅した、という話をしました。現在、ケヤキ(欅)は、神社境内などで比較的多く見られます。歴史館に近い場所では、武水別神社の社叢が、県の天然記念物に指定されています。逆に言うと、単独で信仰の対象になるか、あるいは指定することで保護しなければ、大木や森林は残っていけないのが現状です。
 一方、身近にあって手に入りやすく、加工にも向いていたケヤキは、さまざまな製品に使われてきました。飛鳥〜奈良時代の屋代遺跡群出土品を見ると、大形品では、神聖な「水辺の祭祀」で水を流す木樋に選ばれた一方、雑木として河岸の杭にも使われていました。また、小形品には、ろくろを使って加工した挽物(ひきもの)の盤や皿、ノミや小刀で刳り抜いて作った刳物(くりもの)の槽(そう)や、乗馬用の壺鐙(つぼあぶみ)が見つかっています。さらに、繊細な細工が必要な櫛の素材にも利用されました。
 現在、保存処理中の社宮司遺跡(平安時代)では、建物の柱を支える礎盤に利用された例が多くみられます。さらに、室町時代の東條遺跡では、主に漆器椀の素材に使われており、下駄や建築材なども認められます。今年度後半から来年度にかけて、順次、間近で観察できるようにする予定です。

屋代の低地に広がっていたケヤキとケヤキ製品(木器保存処理室より6)
屋代の低地に広がっていたケヤキとケヤキ製品(木器保存処理室より6)
[ 2014-05-15 ]

にぎやかに開催!「歴史館でこどもの日」

イベント

 5月5日(月)、「歴史館でこどもの日」イベントがありました。あいにくの小雨模様でしたが、大勢の子どもたちや大人の方にご来館いただきました。
 屋外展示場では、「石のアクセサリーづくり」があり、まが玉やハート型など思い思いの形となる石のアクセサリーづくりの製作に、夢中になって取り組んでいました。1時間半ほどで世界にたった一つだけの石のアクセサリーが完成です。
 常設展示室入口では、「縄文人になって遊ぼう」コーナーがあり、本物の土器を持ち比べたり、縄文人のアンギン編み衣装を身につけて記念撮影をしました。黒曜石を使って紙を切る体験コーナーもありました。「すごい。思ったよりシュッと切れるね」と、体験した方の声。記念の缶バッジのプレゼントも大好評でした。

 どちらのイベントも「子ども好き」「歴史好き」のボランティアの皆さんが運営を支えてくださいました。感謝です!
 8月8日〜10日には、「歴史館で夏休み」イベントを予定しています。大勢の皆様のご来館をお待ちしております。次回もお楽しみに。

にぎやかに開催!「歴史館でこどもの日」
にぎやかに開催!「歴史館でこどもの日」
[ 2014-05-05 ]

屋代・雨宮低地にあった桂の林と、カツラ材の保存処理(木器保存処理室より5)

お知らせ

 4月半ばを過ぎ、当館の木々も若葉が芽吹きはじめました。ハート型をした葉(写真1)は、カツラ(桂)です。カツラ科カツラ属の日本特産の落葉広葉樹で、当館駐車場では、写真のように葉脈がやや赤みがかかった木と、赤みのない木が並んであります。
 実はこのカツラ、約2000年前までは、当館周辺の低地一帯に広がっていました。
 平成4年、屋代遺跡群(高速道の五十里川と交差する地点から北側)の発掘調査で、縄文時代晩期の地層(?層)上面から、炭化した樹木痕がたくさん見つかり、樹種を調べてみるとカツラとケヤキでした。南側の更埴条里遺跡側でも同じ状況が見られたため、縄文時代には、広く樹木におおわれていたことがわかったのです。
 ところが、弥生時代中期(2200〜2300年前以降)になると、同じ場所に水路が設置され、本格的な水田開発がはじまりました。これ以後、「屋代たんぼ」へと景観が大きく変貌していったことが、発掘調査によって裏付けられたのです。
 一方、屋代遺跡群6区(更埴ジャンクションの少し南側)では、奈良時代(約1250年前)の川にかかる杭列(橋脚か)にカツラ材が使われており、一昨年ようやく、保存処理が終了しました(写真2)。また、千曲川対岸の社宮司遺跡では、平安時代(約1000年前)の柱を支える礎盤などにカツラ材が使われており、現在、保存処理作業を進めているところです。
 このように、水田開発で低地林が伐採された後の奈良・平安時代でも、身近な材として、カツラが使われていたことがわかります。
 当館の庭木、あるいはお近くの神社の境内などで、ハート型の葉を見たら、屋代低地などでの、カツラとヒトの長い付き合いの歴史を思い出してみてください。

屋代・雨宮低地にあった桂の林と、カツラ材の保存処理(木器保存処理室より5)
屋代・雨宮低地にあった桂の林と、カツラ材の保存処理(木器保存処理室より5)
[ 2014-04-22 ]
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