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鎌倉幕府下知状

正応3年11月17日 (1290)

鎌倉幕府下知状幕府が、中野泰重と中野仲能(定蓮、中野忠能の養子)・右仲(仲能の子)・小田切実道(忠能の養子)の相論について裁定した下知状。幕府は中野泰重の訴えを認めず、弘安元年9月7日鎌倉幕府下知状(028)で蓮阿(中野忠能の妻)に認められた中野郷堀内・町田(内作田)、志久見郷湯山について、蓮阿の譲状にしたがって中野仲能らの知行地とすることを裁定した。なお、本文書では、蓮阿に対して発給された建長4年(1252)12月28日安堵下文に記されている正月25日譲状の年号を、建長2年(1250)ではなく延安2年(1240)であると認定している。この判断が正しいことは、蓮阿に対するものと同日に中野正康に対して発給された建長4年12月28日将軍家政所下文(021)が、正月25日中野能成(妙蓮)譲状について延安2年と記していることからもうかがえる。また、中野仲能は023・024・027・030文書に、小田切実道は033文書にもみえる。

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翻刻

鎌倉幕府下知状翻刻

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