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鎌倉幕府下知状

弘安元年9月7日 (1278)

鎌倉幕府下知状幕府が、蓮阿(中野忠能の後家尼、袈裟御前の母)と市河重房(袈裟御前の夫)の相論について裁定した下知状。中野忠能と蓮阿には釈阿(袈裟御前)しか子がなく、釈阿は市河重房の後妻となっていたが、その釈阿が死去したため、袈裟御前が相続していた中野氏惣領に伝わる証文や所領をめぐって幕府に訴えがなされた。幕府の裁定では中野堀内・町田、志久見郷湯山屋敷などの所領やそれに関わる証文については蓮阿が領掌するものと認めたが、惣領分の主要な証文や所領など、そのほかの訴えについては蓮阿の主張は認められなかった。このため中野氏の所領の多くが市河重房とその養子市河盛房の手に渡ることとなった。なお、本文書と、本文書が言及する中野能成(妙蓮)の延応2年(1240)正月24日と翌25日の両譲状については、正応3年11月17日鎌倉幕府下知状(029)にも引用されている。

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翻刻

鎌倉幕府下知状翻刻

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