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鎌倉幕府下知状

文永2年閏4月18日 (1265)

鎌倉幕府下知状幕府が、中野忠能(法名宝蓮)の遺領をめぐる中野為泰と後家尼(中野忠能の妻、028・029にみえる蓮阿)・その娘の氏女(袈裟御前、忠能の娘、026には●阿、028・030には釈阿とみえる)・中野長能(忠能の養子、024・027・029・030には仲能とみえる)らの相論について、中野・志久見両郷の地頭職や所領を氏女・長能らに安堵した下知状。中野忠能は前年の2月19日に死去したが、忠能が遺したとされる弘長4年(1264)2月17日自筆譲状による相続に対して、中野為泰が異議を申し立て相論となった。中野為泰はその母が武蔵国広田の広田為村の妻女となったため広田氏の跡を継いだが、中野忠能の嫡子であると称して、その権益確保を主張した。幕府は忠能の弘長4年2月17日自筆譲状を認め、その履行を承認するとともに、中野為泰の申し立ては悪質であるとして、譲状では為泰にも認められていた相続分を惣領である氏女に付すこととした。なお、本文書をうけてその地頭職や所領を安堵する文永2年5月25日将軍家政所下文(025)が氏女(藤原氏)に発給される。また中野長能分の所領の具体的な範囲などが、以後の文書(024・027・029・030)によってうかがえる。

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翻刻

鎌倉幕府下知状翻刻

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