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市河興仙軍忠状

応永7年4月21日 (1400)

市河興仙軍忠状市河興仙(頼房)が、前年10月に守護に従わない島津国忠らと水内郡石渡(長野市)において戦い、同月に勃発した将軍義満に対する西国6カ国の守護を兼ねる大内義弘の反乱(応永の乱)に際してとった軍事行動を上申し、小笠原長秀からの証判を得た軍忠状。島津国忠は太田荘(長野市豊野)を所領とし、対岸の高井郡に所領を持つ高梨氏とつながりが深かった。また、応永の乱に際しては、応永6年12月27日中野頼兼軍忠状(124)により一族の中野頼兼が参戦していることが知られる。本文書では頼房も上洛し長秀の陣に加わろうとしたが、大内義弘と同心して美濃国に攻め入った土岐宮内少輔(詮直)に邪魔されて参陣できなかった旨が記されている。なお、島津国忠らとの戦いについては(応永6年)11月3日小笠原長秀奉書(133)にもみえ、また応永の乱に際して、頼房の子である義房も父と同様の軍事行動をとったことが、応永7年5月27日小笠原長秀宛行状(126)によって知られる。

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翻刻

市河興仙軍忠状翻刻

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