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市河経助軍忠状

観応2年3月 (1351)

市河経助軍忠状市河経助が、京都より信濃に戻った諏訪直頼の軍に加わり、信濃国守護小笠原氏を攻め、甲斐国須沢城に楯籠もった高師冬(師直の子)らを攻め落城させた軍功を上申し、諏訪直頼の証判を得た軍忠状。前年10月に足利尊氏とその弟直義の対立は決定的となり、「観応の擾乱」が始まった。直義方の諏訪直頼は京より信濃へ戻り、尊氏方の信濃国守護小笠原政長の勢力を攻撃した。埴科郡船山の守護所を攻められた政長の弟小笠原政経らは筑摩郡放光寺(松本市)に楯籠もったが降参したとある。上杉憲明や諏訪直頼らの攻撃で須沢城(山梨県南アルプス市)は落城し、尊氏方の中心人物の一人であった高師冬は自害した。このように、この時期、直義方が勢力を強めていた。上洛していた信濃国守護の小笠原政長は、尊氏方であったが、本文書に述べられているような情勢を見て直義方に鞍替えをした。なお、同月の市河頼房代泰房軍忠状(100)により、この軍事行動には経助のほか、惣領松王丸(頼房)の代として泰房(頼房の甥)も参戦していたことがわかる。

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市河経助軍忠状翻刻

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