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伊那郡伴野村松尾家文書

資料No(記号) 伊那〔4〕/4-16
説明(解題)伴野村は、天龍川の左岸に展開する村である。天保郷帳による村高は1,022石であった。領知は、寛文12年(1672)まで飯田藩領、同年から天和元年(1681)まで幕府領、同年以降高須藩領であった。明治維新後は、名古屋県を経て筑摩県、そして長野県に属した。明治8年(1875)、神稲村の一部となり、昭和30年(1960)河野村と合併し豊丘村となる。
本文書は、伴野村の庄屋をつとめた松尾家に伝来してきた文書である。松尾家は、村役人をつとめる一方で、酒造業なども行っていた。また幕末には、平田篤胤没後門人となった松尾(竹村)多勢子が京都にのぼったり、勤王の志士たちをかくまったりした。文書の年代は、元禄7年(1694)から明治32年(1899)におよぶ。その内容は、松尾家の「家」文書を主体としながら、伴野村村方文書、伊那県文書などの公文書が含まれている。伴野村村方文書は、検地帳(写)、御用金関係、山論裁許などが断片的にある。伊那県文書は、伊那県印鑑、官員録など残っている。本文書の大半をしめる「家」文書では、書簡の数が194点と全体の約3分の1をしめているのが目立つ。その多くは松尾多勢子宛のものであるが、差出人は平田鉄胤、角田忠行、西川吉介、権田直助など平田国学関係の人物や安東菊子など和歌を通じてつながりのあった人物など多方面に渡っている。平田国学関係では、多勢子の平田門への入門願書および入門許可証がみられるのが特筆される。明治以降の「家」文書では、明治25年(1892)に没した松尾千振(多勢子の孫)を追悼のために寄せられた和歌の数も多い。なお、松尾家文書の大半は、現在豊丘村へ寄託されており、そちらの方も合わせてみていただきたい。

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