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諏訪郡岡谷村林家文書

資料No(記号) 諏訪〔3〕/3-10
説明(解題)出所は明らかでないが、宛所に、岡谷村林源吉をはじめ林家の人物と思われる名前が多くみられるので、岡谷村名主林家の文書であるとした。
本文書の点数は60点で、この内年代がわかるものは、文化13年(天保元年1830)から明治19年(1886)までの48点で、残り12点は年代不明である。近世後期から明治期の文書群である。近世の史料として、徳帳がまとまって存在している。岡谷市誌によれば、当時の岡谷村名主役は世襲制ではなかったため、本文書群にも年代が連続した徳帳はみられないが、文政8年(1825)および天保13年(1842)の史料が複数存在する。岡谷村は近世を通じて高島藩領で、村高は天保郷帳によれば924石、枝郷を多く抱えていた。徳帳に記された間下、小尾口、浜等は、枝郷である。名主が複数いる場合、年貢収納の担当者を納番名主、村入用の担当者を割名主と呼んだ。史料から、林源吉は、年貢収納の担当である納番名主であったことがわかる。徳帳による年貢の徴収方法は、高島藩の特色のひとつとされている。徳帳は、一人につき、上段に負担分、下段に納入分を記して、これを差し引きして決済する、という記述方式で、様々な租税の徴集を一本化できるという長所がある。徳帳によって徴集した上納分を村でまとめたものが勘定帳である。また、徴集不足の時は未進といい、高島藩では未進の理由を調べてこれを書き上げるように指示していた。本文書の内にも、これらにあたる史料が存在する。
岡谷村は明治7年(1874)に平野村の一部になり、昭和11年(1936)岡谷市に改称した。それゆえ、本文書中、明治期の文書には、平野村の名前が登場している。

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