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筑摩郡二子神社文書

資料No(記号) 安筑〔5〕/5-56
説明(解題) 本目録に収録した標記文書は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの一部である。小県郡二子神社の由緒に関する文書10点である。
 二子神社は現在松本市笹賀に現存する神社である。笹賀地域は、松本藩時代の出川組に属する神戸・神戸新田・二子各村と、塩尻組に属する今村・小俣の5ヶ村が1874(明治7)年に合併して笹賀村となった地区である。松本市の中央部に位置し、二子地区は奈良井川の左岸を境に北に神戸地区に接している。
 二子村は江戸時代初期より松本藩領であったが、1725(享保10)年の水野家の改易により翌年より幕府領に編入され明治に至った村である。1724(享保9)年当時の石高は約945石であった。この村の産土社が二子神社である。
 当史料群によれば、当社神主宮澤氏関係の文書であることがわかる。これらの史料の内訳は、(1)宮澤氏により1614(慶長19)年に神社再興がなされた際に作成された棟札関係史料、(2)1724(享保9)年の段階で宮澤氏により記された由緒覚書、(3)文久年間の金比羅宮本殿修理関係史料、に分類できる。(1)によれば白山大権現・神明宮・諏方大明神の三社所の神木類が石川氏により伐採され松本城天守に使用されて以降社殿境内が荒廃し、本殿も仮殿のまま続いていたこと、慶長19年に再興され棟札が奉納されたことが知られる。この関係の写・草案も複数残っている。この由緒が(2)の覚書に引用されている。おそらくは(1)の関係史料は、(2)が作成される段階で清書され由緒として残されたものと考えられる。 
 (3)の史料からは二子神社金比羅宮本殿建設のために近隣の神林村庄屋野口庄三郎から材木等を入手したことがうかがえる。史料は少ないが地域社会の交流関係をうかがわせるものである。

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