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飯田藩士杉本家文書

資料No(記号) 伊那〔4〕/4-39
説明(解題) 本目録は、2018(平成30)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうち、飯田藩士杉本家文書を収録する。
 杉本氏は下野国を出自とし烏山藩2代堀親昌の移封とともに飯田へと移った家である。
 「杉本家系譜」によると、もとは桓武平氏三浦義明の子杉本太郎義宗を祖とするという。もと長倉姓で杉本と改姓したと記す。長倉氏のうち与右衛門が親昌の父親良に仕官し、堀家御普請奉行・代官を勤め1668(寛文8)年に下野国烏山で没する。この2年後に堀氏は飯田へと転封となる。
 続く杉本八郎兵衛は親昌に小姓として召し出され、親貞の代に御目付役、彦次郎傳役となった。知行は100石取りで1691(元禄4)年8月24日飯田で逝去、正永寺に葬られた。
 子の太郎助(八郎兵衛)は延宝7年に飯田で生まれた。父の逝去時は8人扶持を仰せつけられ、1692(元禄5)年には4代堀親賢にお目見えしている。1730(享保15)年没に52歳で没した。子の善兵衛密雅は5代藩主堀親蔵のとき家督を継承し70石を拝領する。1747(延享4)年、7代堀親長の時、御金奉行となり、1763(宝暦13)年に加増され100石取となった。この間、元〆方・吟味方・御側御用人を勤め、1773(安永2)年には加判大元〆役に列せられた。役高として百石を加増させ、計200石知行となった(晩年は230石)。1783(天明3)年11月に江戸で65歳で没した。
 密雅には子がなく、遠州西尾藩士遠山外記の次男の庫八致知が杉本家の婿養子となった。堀親長の小姓として1770(明和7)年に出仕。1775(安永4)年若殿(親忠)御納戸役、御取次役、同7年御側御用人となる。親忠の時代には表御用人、天明3年に養父が逝去すると家督を継承した。殿孫御傳役を仰せ付けられ年寄席格となった。9代堀親民の代には300石高となった。1789(寛政元)年江戸で没する。子に義驥がおり幼少であったため松平和泉守家臣堀川又之丞の子息を婿養子となし娘の俣野に嫁した。これが善兵衛幹之である。「杉本家系譜」は義驥が記したものである。
 本史料群は系譜および歴代藩主より給された知行判物のみによって構成されたものである。そのほかの文書類が散逸している点は惜しまれる。しかし飯田藩主の判物を一覧できる点で貴重であり、飯田藩士の歴史を語る数少ない史料群であることは間違いない。
 所収される歴代藩主の判物は以下の通りである(○は本紙あり、△は包紙のみを示す)

△初代 堀親昌 ○2代  堀親貞 ○3代  堀親常 ○4代  堀親賢
○5代  堀親庸 ○6代  堀親蔵 ○7代  堀親長 ○8代  堀親忠
○9代  堀親民 ○10代 堀親寚 ○11代 堀親義 ○12代 堀親広

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