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犀川橋設計図面

資料No(記号) 安筑〔5〕/5-54
説明(解題) 本目録は、2018(平成30)年に当館が県外古書店より購入した標記史料を掲載する。いずれも塔之原から下押野に架かる犀川橋(安曇野市)建設に関わる設計図面(青焼図)である。
 江戸時代までは、犀川における安曇・筑摩両郡間の交通として塔之原から下押野への渡船があった。川口桟番所で荷物改めが行われ、松本と善光寺方面を結ぶ北国西街道へと接続した。木戸を経由し麻績へ抜ける道は主要道であった。近代になり、恒久橋建設の気運が高まり、1902(明治35)年七月に幅2間の木橋が県費により建設された。このとき犀川橋新踏式がおこなわれ東川手村の隠岐吉雄へも招待状が届いている(5-36 隠岐家文書 720-3)。 
 いっぽう、北国西街道は長野まで16里、峠4箇所と難路であった。犀川筋の行程が14里であったことから川岸の難所を改良を並行させながら犀川線の開削が進められた。昭和初年になって全線開通すると、断崖間の架橋のために長大な鉄筋橋梁が作られるようになった。1930(昭和5)年に完成したのが東川手・七貴村を結ぶ木戸橋(192メートル)で、犀川で最初の鉄筋橋であった。翌年睦橋・穂刈橋・大安寺橋が架橋、昭和7年には大原橋が架橋された。こうして松本・長野間の主要ルートが犀川線へと移行したことにより、交通量が増大していった。
 この経過から、本史料にみえる犀川橋が、1933(昭和8)年、木造から鉄筋橋梁へと付け替え計画が立てられたことがわかるのである。これらの史料は長野県で作成された設計図面・地質調査図・鋼材料表など、いずれも土木技術者によって作成された27葉である。現状では「府県道池田明科停車場線犀川橋設計図面目録」と記された袋に一括して納入されている。 
 なお設計図面の制作者にみえる後藤新は長野県の土木技師で、昭和8年当時土木課公務係技師で道路技師を兼任している。昭和10年には道路課長に昇進している。このほか土木工手として百瀬通夫・西田勝男、道路技手六級松田庄次の名前が見える。このほか林確・山崎博仁・小山市郎・高野盛雄らの名前が確認できる。犀川橋は1936(昭和11)年に完成し、1980(昭和55)年に新橋梁に付け変わるまで40年以上利用された。
 以上のことから本史料は昭和初期の長野県道路土木行政の一端をうかがえる史料である。

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