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高島藩医関家文書

資料No(記号) 諏訪〔3〕/3-23
説明(解題) 本目録は、2017(平成29)年に当館が古書店より購入した標記史料10点を掲載する。幕末の諏訪高島藩で医師を務めた関盛喜(玄旋・玄悦)およびその世嗣盛直(玄悦)等に関するものである。注目すべきは、医学を学んだ関氏の系譜類および上記2者の伝記にあたる賛文などをおさめており、当該期の地域の医学者の動向がうかがい知ることができる。こうした地方医師の家の歴史類(家乗)は珍しいといえよう。
 系譜によると、関氏は清和源氏平賀氏を祖とする。はっきりするのは盛隆の時代で、木曽義昌の家臣となり、1542(天文11)年瀬沢合戦で戦死している。次いで半兵衛盛総の代に諏方頼重、武田晴信の家臣となり甲斐国に50石を拝領したが、武田家滅亡後諏訪へ帰住している。盛総の息盛定は二人扶持50石で千野村(茅野市)に住した。続く盛信は作事奉行を歴任した。 
 医師としての活動が見いだせるのは江戸時代中期1738(元文3)年、盛信の孫盛喜が江戸の医師大澤玄随に学んでからである。医師としては盛喜は玄旋、ついで玄悦(初代)を名乗っている。 
 玄悦は尼崎藩松平氏の扶持を得、その後近江鳥羽藩藩主稲垣氏に召し抱えられた。「家乗」によれば鳥羽藩時代には藩主から白無垢着用、帯刀も免許されたと記される。明和初年に諏訪へ戻ることになり、上諏訪へ転居したのが天明5年であった。頼岳寺に祀られている。
 盛喜には男子がなかったため、高遠から橋爪茂左衛門の次男を養子とし家嫡とした(盛直)。盛直もまた江戸の官医三木昌甫に学んでいた。江戸の儒医学者等を列した「儒医評林」によれば、三木は江戸両替町の医師である。盛直は松本藩医天野可斎にも学んでいた。1785(天明5)年に家督を継ぎ、玄江(二代目玄悦)を襲名している。
 盛喜の子盛徳・盛寛も江戸に学ぶがともに夭折している。以上の家乗の記述からは、武士でありながら医業に携わっていた関家の経歴がわかるが、興味深いことは、藩医として各藩のお抱えとして仕官先を代えていたことである。
 家乗以外では、盛徳(左膳)から父玄悦に宛てた書簡などを収めた巻子がある。
 本史料群には施薬や治療に関わるものは含まれていないが、近世地方医師の系譜がうかがえる好史料といえるだろう。

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