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芦田宿本陣土屋家文書

資料No(記号) 佐久〔2〕/2-11
説明(解題) 芦田宿本陣土屋家文書(以下、土屋家文書)は、長野県立歴史館が平成15年(2003)に寄託を受けた。土屋家文書は、旧・信濃国佐久郡芦田村(現・長野県北佐久郡立科町芦田)の旧家・土屋家に伝来した近世・近代史料である。今回公開する史料は、近世古文書史料(分類番号K)と明治期の文書(分類番号F・G)を中心とする。この内、分類番号Kl、Kl−2、K21は、土屋家の家系図など家の由緒に関わる史料が多いので、土屋家へ返却した。目録紹介はするが、史料は当館にはない。
 なお、分類番号K2以下、それぞれの史料分類の根拠は明確ではないが、史料調査の痕跡と思われる史料群のまとまりであろう分類もみられる(K25等)。
〈芦田宿〉
 土屋家は、中山道芦田宿の本陣を務めた家である。問屋や名主も兼任しており、芦田宿や芦田村に関係する史料が多くあり、「長野県史」「立科町誌」等でも紹介されている。
 芦田宿の成立について、山浦家(芦田宿問屋を務めた家)に伝わる「昔噺覚書」や蓼科神社が所蔵する「芦田宿駅願文」によると、慶長2年(1597)、岩間(後の山浦)忠祐と土屋右京左衛門が、西国大名通行の為という上意を受けて新たに宿場を開いたとされるが、徳川政権下の宿駅整備と考えるには時代が早い。慶長6年(1601)、ならや・たるやの駄賃定状がみられ、芦田宿は、中山道の宿場のひとつとして、江戸幕府の宿駅伝馬制度に組み込まれていく。
 天保14年(1843)「中山道宿村大概帳」によると、宿場の規模は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒で、長窪宿(現小県郡長和町)と比較しても、小さな宿場である。土屋家は、現立科町役場近くに位置し、当時の姿を今に伝える建物が残されている。当時の町並みの中央部に位置する東町屋敷と中町屋敷に本陣・脇本陣・旅寵屋が置かれ、本陣の門脇に高札場があった。下り望月宿(現北佐久市望月)へは1里8町、上り長窪宿(現小県郡長和町)へは笠取峠を越えて1里6町の位置にある。文政年間の「宿割図」によれば、商家が22軒あり、芦田宿が商品の流通や売買の機能も担っていたことがわかる。また、幕末期に小諸藩の生糸改所が置かれた。
 〈芦田村〉
 芦田村は、北佐久郡立科町大字芦田に位置する。戦国時代、武田・北条・上杉等、各地の武将が佐久地方へ押し寄せたため、芦田村も戦乱の渦に巻き込まれる。さらに、関東に入封した家康包囲網の一環として、信濃支配は秀吉と直接主従関係を結ぶ大名に支配を任せるなど、この地域は、当時の政権争いに関わる要の地といえる。
 近世は一貫して小諸藩領に属すが、元禄15年(1702)、牧野廉重が小諸城主として入封するまで、次々と領主となる大名家が交代している。その一例として、寛文10年(1670)、領主酒井忠能は領内の総検地を行い、領民から徹底的に年貢を徴収しようとした。これに反発した百姓たちが江戸へ出訴しようとしたが、横川の関所で阻止され、首謀者4人が死罪、8人が追放となる。しかし、酒井忠能もこの騒動により転封となり、領主が交代することとなる。天保5年(1834)「信濃国郷帳」によると、芦田村の石高は、約2,472石である。牧野氏の支配は明治維新まで続く。「和宮の下向」「長州征伐への参加」等、幕末の日本を揺るがす事件が中山道を通過する。土屋家文書にも、このときの関係史料が多く残る。小諸藩最後の藩主、牧野廉済は、明治維新後、小諸藩の知事となる。
<廻米・産物流通及び武石道通行一件など>
 芦田宿・長窪宿・長窪古町宿が関係する大内道通行について、松本藩御廻米に関わる文書がみられる。また、間道である武石道の商荷物の通行に関して、保福寺宿他14カ宿が、松本町の者が新規の道筋である武石道を通行して輸送していると訴えた件の裁許文(写)などもある。
 武石道は、水野氏支配の頃、松本藩が参勤交代で通行したという記録があり、その他の物資の輸送路としても使用されていた。しかし戸田氏支配となり、松本藩は武石道の商荷物等の通行を禁止した。しかし、松本藩の御廻米はこの道を利用して運ばれていた。商荷物の通行は公認されていたわけではないが、通行の事実はあったとされる。ゆえに、何度も武石道通行に関わる訴訟が繰り返され、これに関わる史料が多く残る。長窪古町の名主精一郎が、訴訟に関わる証拠書付として、土屋家から文書を借用した等の記述もみられる。この件に関しては、上田・小諸藩等、複数の藩領をまたぐ広域の宿場が関わり、さらに長期に渡り何度も出入りに及んでいるので、関係する史料が多い。
 そのほか、分類Gには明治期の国有林払い下げに関わる文書がみられる。
 分類Cはおもに近代史料である。当主土屋傳が長野県庁学務課視学であったころのものや学校長時代の書類など豊富に収める。とくに戦時中の教育行政関係史料は興味深いものが数多く今後の研究が待たれるところである。

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