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座光寺伊奈介消息

資料No(記号) 伊那〔4〕/4-33
説明(解題) 本目録に収録したのは、2010(平成22)年に上條信彦氏より寄託を受けた収集史資料群のうちの1通である。
 伊那郡市田郷(高森町)は国衆松岡氏の領有であった。座光寺氏は松岡氏の家臣で伊那郡座光寺を名字の地とした武士である。松岡頼貞は武田家を経て徳川家康の与力となったが1588(天正16)年に謀反の疑いで改易されてしまう。家康の関東移封では、座光寺為景は上野国大竹(群馬県安中市)に950石を与えられ文禄2年に千石に加増された。関ヶ原合戦後には伊那郡山吹(高森町)千石で寄合組旗本として転封された。大坂夏の陣で為景・為重父子に功あり、よって1400石に加増された。座光寺氏は山吹村のほか駒場・上平・竜口各村を知行している。陣屋は山吹領法寺・大宮神社近くに設置された方形館であった。
 本文書は座光寺伊奈介が年始の祝詞を瑠璃寺住持へ申し述べた折紙である。座光寺伊奈介は現在のところ実名を詳らかにできない。歴代座光寺氏当主のうち伊奈介を官途とする人物は、第9代伊奈介為寿(1756(宝暦6)年〜1802(享和2)年)、11代伊奈介為巳(1801(享和元)年〜1848(嘉永元)年)がこれに該当する。為寿は、伊豆木小笠原長孝の三男で、1789(寛政元)年に座光寺氏を相続した人物であるが、治世はわずか13年で関係する史料として見るべきものは少ない。いっぽう為巳は1815(文化12)年15歳で家督を継承し、以後32年間山吹の領主として治世をおこない和歌などの文芸交流に努めたという。
 いっぽう消息の宛先である瑠璃寺は天台宗の古刹であったが1582(天正10)年の織田信長による伊那郡侵入によりおおむね伽藍は焼失してしまう。当時の伽藍は本堂のほか五重塔・護摩堂・観音堂・地蔵堂・弥陀堂・開山堂が揃う威容であったとされる。1607(慶長12)年に小笠原秀政の外護を得て堂宇の故地に再建がなった。

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