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古文書目録名一覧

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水内郡水内村文書

資料No(記号) 水内〔9〕/9-31
説明(解題) 本目録に収録した文書は、平成22(2010)年に上條信彦氏より寄託を受けた史資料群のうちの一部である。
 水内村は犀川中流左岸の沖積平野および河岸段丘上に位置し、山林地も多く含む。現在の長野市信州新町水内地区にあたる。江戸時代は松代藩領で、村高は慶長年間には578石余りであった。水内村三組と称されるように、安用・水内・峰3組によって構成され、本文書群はほとんどが安用村に関わるものである。水田は少なく、大豆・小麦・大麦・麻・綿など畑作が中心であった。幕末には養蚕も盛んになった。
 犀川上に同村橋場から更級郡吉原へ架橋された水内橋は信州一の刎橋で江戸時代から観光名所として知られると同時に、八幡・塩崎など北国脇往還への迂回路として盛んに利用された。
 本文書群のほとんどが1864(慶應四・昭和元)年の割付帳、人別帳、上納銀などの書付で、安用組名主治五兵衛の作成したものである。安用組名主文書と位置づけられる。
 史料点数自体は少ないが、慶応4年夏の梅雨前線活発化による豪雨による山抜被害の記録が含まれ、当該地域の災害史研究に益するものであるといえる(9-31-1)。この豪雨は6月下旬(慶応4年5月上旬)から7月中旬(同年5月下旬)にかけて、関西から中部、東北の各地方にわたり長期間大雨が降り、信濃(長野県)、越後(新潟県)の信濃川流域、畿内の淀川流域で水害が起きた災害である(「WEB版防災情報新聞」)。また松代藩領でも犀川・千曲川共に洪水、西寺尾村浸水100 戸、麦作流失。真島村の堤防600 間(約1?)根底より流失するなど被害が出ている(WEB版「長野市の災害」)。水内村の山抜の具体的被害がうかがえる史料である。
 水内村は1954(昭和29)年に久米路村、同年新町、翌年信州新町となり、2010(平成22)年に長野市に編入され現在に至っている。

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